A昔も今も造船に缺くことの出來ぬテイク(Teak)と云ふ木材の産地でありましたから、レバノン(Lebanon)の山の松柏材で昔のフヱニキヤ人が船を造り、航海者として有名であつたごとく、此の國はテイク材の産地であつたから、造船術も發達し、人民は航海の經驗と知識がありましたから、金剛智三藏が將軍米准那の舟師にとりかこまれて支那に向はれたことは、大いに理由のあることであります。しかし熱帶地方であるだけに、天與の恩惠が厚いと同時に、颱風が屡※[#二の字点、1−2−22]起り、其の都度災害がいちじるしく、海は、平風恬波のときは航海には極めて安全でありますが、一旦荒れだすと古代の航海者には非常な恐怖を生じたものであつたと見えて、英領印度の南端に、コモリン(Cape Comorin)海角と申しまして梵語のクマーリイ(〔Kuma_ri_〕)と云ふ女神の殿堂の名からとつて名づけた土地があります。昔から航海安全の祈願所であります。なほ日本の瀬戸内海の航海者が讚岐の象頭山に對し、日本海の西部の航海者が伯耆の大山に對し、日米間の太平洋航海者が富士山に對するやうな信仰が印度洋の航海者にありました。普陀落觀音(Potalaka)の信仰の起源は恐らく此の地方にあつたと私は思ひます。何分亞剌比亞海から吹き寄せて、濕氣と雨とを持つて來る西南恒信風が、印度の大陸に眞先きに吹きつけるのは此の摩頼耶國であります。この恒信風を利用して、亞剌比亞海から印度に來る船が眞先きに寄航する土地は、此の國であります。果して西暦紀元一千四百九十八年、葡萄牙の有名なる航海者※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)は、舟師を率ゐて亞弗利加の喜望峰を迂回し、亞弗利加の東海岸ザンヂバール(Zanjibar)から、亞剌比亞人を水先案内と致しまして南西の恒信風に任せ帆を上げて、眞先きに印度の大陸に到着した地點はカリカツト(Kalicut)でありますが、これはマラバール即ち金剛智三藏の出生または活動せられた地方の一海港であります。また亞細亞からの冬から春にかけて吹く東北の恒信風を利用して、亞細亞の産物を亞弗利加東海岸に齎らす商船が、印度から出發する場合には、亞剌比亞半島の南にある阿曼《オーマン》、亞丁《アーデン》等の諸地方に寄舶する便宜上、必ず此のマラバール即ち摩頼耶國の何處かの海港に寄舶せねばならなかつた。また波斯灣の兩岸に存在する諸都市の船舶も、印度洋、南洋、支那海に來往する場合にも、同樣でありました。殊に印度の哲學宗教史專攻の人々にとりて注意せねばならぬことは、今日印度の知識階級の思想を支配して居る吠陀論師(※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ーダーンタ)の開祖シヤンカラーチヤリヤ(〔C,ankara_carya〕[#nは上ドット付き])の出生地はこの摩頼耶國であつて、其の活動の時代は、金剛智三藏の時代と略※[#二の字点、1−2−22]同時代であつたと云ふ事であります。
 金剛智三藏は、印度の大陸に生れ、大陸に活動したとは云へ、實際は摩頼耶と云ふ海國に生れ又は活動せられたのであるから、所謂海國男子であつたと思はれます。宗祖大師と同じく、瀕海の國で生れられて、海洋とは如何なるものか、海洋の中に於ける船舶内の生活とは如何なるものかは、蓋し幼時から充分會得實驗せられたことと思はれる。金剛智三藏の生家は、婆羅門族であつたか刹帝利族であつたか疑問としましても、所謂清貴の家であつたことは疑ひない。古代から印度に輩出した立法者、北方ではマヌ(Manu)ヤーヂユナ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リキヤ(〔Ya_jn~avalkya〕)を始め、南方ではアーパスタンバ(〔A_pastamba〕)アーガステイヤ(〔A_gastya〕)等の法典には、婆羅門族または刹帝利族に對し、其の清貴の性質を失はざらしめんため、冠婚葬祭の四大禮は申すに及ばず、職業、交遊、服裝、住居、飮食等に至るまで、種々の制限を加へて居ります。殊に海外に出づることは禁じて、一旦海外に出たものは、歸國するも其の清貴の性質を失うてアーリヤ即ち正信の印度人たる權利はないものとせられた。祭政一致、宗教法律の區別なき時代にあつてはさもあるべきことと思ひますが、金剛智三藏時代の南海印度洋の諸國は、印度アーリヤ文化の光被せる地方であつて、古代印度の立法者の立法を解釋せる者の中では、此等の諸國に來往したりとて等しく、アーリヤ正信の人たることを失はないと云ふことで、此等の諸國を神州即ち印度アーリヤ地方の延長であると看做して居つたものです。だから、支那國に法を傳へんため、南印度の國王|捺羅僧伽補多跋摩《ナラシンハ、ポータ、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマン》王の舟師に將として支那に向はんとした將軍米准那の
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