450−475.A.D.)
   ┌─────┴────┐
   │          │
Sinha−varman(475−500)   Visnu−gopa
              │
Skanda−varman(500−520)  Sinha−varman
              │
Nandi−varman(525−550)   Visnu−gopa
              │
           Sinha−varman(550−575)

[#4段目、Sinhaのnは上ドット付き、Visnuのsnはともに下ドット付き]
[#6段目、Visnuのsnはともに下ドット付き]
[#7段目、Sinhaのnは上ドット付き]

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Sinha[#nは上ドット付き]−varman(550−575)
  │
Sinha[#nは上ドット付き]−visnu[#snはともに下ドット付き](575−600)
  │
Mahendra−varman(600−630)
  │
Nara−sinha[#nは上ドット付き]−varman(630−668)
  │
Mahendra−varman(668−670)
  │
〔Paramec,vara〕−varman(670−690)
  │
Nara−sinha[#nは上ドット付き]−varman(690−715)
  │
〔Paramec,vara〕−varman(715−171)
[#ここで横組み終わり]

 たゞ此の際此の王朝の起源について、はつきり申上ぐることの出來ることがあります。此の王朝は、西暦紀元第三世紀の前半まで南印度に君臨して居つた娑多婆漢那《シヤータ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーハナ》王朝(〔C,a_tava_hana〕)の後を承けまして、最初は方伯連帥の資格で那伽《ナーガ》族、チユフツ族等の諸侯伯と駢立して、南印度の東岸「クリシユナ」(Krisna[#rsnはそれぞれ下ドット付き], Kitsna)河の河口に都を建て後に王位を稱するに至つたと云ふ事であります。龍樹菩薩と同時であつたと云ふ市演得迦王、宋の求那跋摩の譯した龍樹菩薩爲禪陀迦王説法要偈の經名に見えて居りまする禪陀迦王は、恐らく娑陀婆漢那《シヤータ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーハナ》王朝の末期に出でて
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