ありませぬから、何氣なく無造作にアルヂユナと還源しましたことと思ひますが、如何にせん、「米」の字には、昔から支那には、アルと云うた例は決してありません。「米」は姓として准那を名にし、准の字の上に曷羅とか、※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]とか云ふやうな字が脱落したものと見れば、將軍と云ふ言葉に對して、古から勇武を歌はれたアルヂユナの名は如何にもふさはしき感じを生じますが、さりとて、一千一百年來、弘法大師が支那から御將來の經または文書にいづれも米准那とあつて三字以外にありませぬから、種々の點から見て、遺憾ながら此の三字以外に他の字がなかつたものと諦めて、この三字だけで解釋を致さねばなりませぬ。
凡そ地名にしても、人名にしても、固有名詞だからと云うて打棄てて、其の意義を檢討せずに居ることは、眞個の學者たるものの忍びぬ所で、正しきにせよ、誤れるにせよ、何等かの解釋を加へて世に公にすることは學者の責務であります。私は茲に諸君に對し、一千餘年間等閑に附せられて居た米准那の三字の原音を尋繹致したいと思ひます。
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先づ第一に「那」の字音でありますが、これは「ナ」と云う場合は普通であります。同時に「タ」又は「ダ」と云ふ音を表幟する場合にも用ひられます。かゝる場合は娜の字を用ひますが、時ありて、「女」扁をなくして娜那混同して用ひることはあります。一例を擧げますれば、義淨三藏の作だと古代より傳説せられ、新義古義兩方の碩學から校訂出版せられて居りまする梵唐千字文、又の名は梵語千字文の中で、「聲」と云ふ字に對し攝那(セブダ 〔c,abda〕)の音譯を配し、那の字を「ダ」に響かせてあります。然るに「響」と云ふ字に對し鉢※[#「口+羅」、第3水準1−15−31]底攝娜(プラテイセブダ 〔pratic,abda〕)の音譯を附し、同じく攝那の音を寫すに那の字に代はりて娜の字を使用してあります。要するに那娜二字とも「ダ」の音を寫す場合に混同してある事實を認めねばなりませぬ[#「なりませぬ」は底本では「なりせぬ」]。故に私は米准那の那を「ダ」と發音して差支へはないと思ひます。いづれこの音譯は、金剛智三藏が、廣州に到着せられた場合嶺外節度使が中央政府に報告する文書作成の際か、中書令か又は鴻臚卿の方で廣州の觀察使に回答する文書作成の際かに出來たものでありませうから、苟も舟師
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