に費してゐるものだ。人間自身の存在が「現実」であるならば、現に其の人間によつて生み出される空想が、単に、形が無いからと言つて、なんで「現実」でないことがある。実物を掴まなければ承知出来ないと言ふのか。掴むことが出来ないから空想が空想として、これほども現実的であるといふのだ。大体人間といふものは、空想と実際との食ひ違ひ[#「食ひ違ひ」に傍点]の中に気息奄々として(拙者なぞは白熱的に熱狂して――)暮すところの儚ない生物にすぎないものだ。この大いなる矛盾のおかげで、この箆棒《べらぼう》な儚なさのおかげで、兎も角も豚でなく、蟻でなく、幸ひにして人である、と言ふやうなものである、人間といふものは。
単に「形が無い」といふことだけで、現実と非現実とが区別せられて堪まらうものではないのだ。「感じる」といふこと、感じられる世界[#「感じられる世界」に傍点]の実在[#「実在」に傍点]すること、そして、感じられるといふ世界[#「感じられるといふ世界」に傍点]が私達にとつてこれ程も強い現実[#「現実」に傍点]であること、此処に実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはな
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