てられてゐた。森の入口はと言へば此は又広茫としたなだらかな草原で、見渡したところ八方に人々の棲む何の気配もないのだが、大いなる落日が森の奥へ消え落ちて東の平野から広い夜が這ひ上つてくると、急にフワフワと何処から現れるものともつかず実に可笑しな奴ばかりが森の酒場へ集つてくるのだ。煙草をふかし乍ら勿体ぶつて考へてばかりゐる三文詩人がゐるかと思ふと、見てゐたらいきなり彼の二つの耳から白くモクモクと煙を吹き出し嵐のやうな劇しい思索に耽りはぢめたのであつた! 凡そ常連の一人として一列一体に異体《えたい》の知れた奴はない。僕も昔は此の酒場の古い常連であつたのだが、神経衰弱に悩まされて以来《このかた》は、それも畢竟此等のてあひ[#「てあひ」に傍点]の醸し出す酒場の妖気に当てられた所為でもあらうかと思ひ、堅く禁酒を声明して森に足を向けなくなつた。――思へば迂闊にも忘れてゐたが、全て物事には珍重すべき「逆」といふものがあるのだ。ことに神変不可思議な神経衰弱の如き端倪すべからざる代物《しろもの》にあつては、逆こそ唯一の手段として何を措いても試みるべき性質のものではないか――
森の酒場へ! さうだ! 森の
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