で、自然にそうなるものらしい。二男三男などゝいうものは、コクツブシみたいなもの、いくらかでも分禄しなければならないだけ家産の敵みたいなもので、戦国時代と違って矢を三本合せる必要はないから、邪魔になるばかりである。
 貞吉はそういうことは出征前から心得ていたから、生きて還ったところで、歓待を受ける筈はない。生きて還るとは、おはずかしい。まことにテレクサイ思いで借金の言い訳に来たようにして生家へ戻ってきたから、万事案の定という奴で、いさゝかも驚かない。追いだされるまで居る気なのだ。それだけのことだ。
 けれども伏兵がひとりいた。これは二番目の兄で幸蔵というのだが、満洲から妻子六人ひきつれて、ころがりこんだ。無一物、家どころか、フトンもない。引揚げて生家へころがりこむのは自然であるが、正一郎の考えでは自然ではない。かりにも分家分禄したのだから、生家というものは、もはや特別の何物でもない。分家というものは死んでも生家の墓へは入れぬ。つまり独立した別の一家であるからで、分家には分家の墓を起さなければならないように、わが住む家を失ったから、生家へもどるという性質のものではない。
 おまけに妻子六名もつき従っており、これがみんな栄養失調の気味で、やたらに食い倒す。もちろん別々の配給生活にして、大根一本やらないけれども、同じ屋根の下にいるから、子供たちは、こっちの物を盗み食いする。野良犬、野良猫と変りはない。それを人間の子供のように待遇するのは、まことに不快な問題である。
 住む家はなくとも甲斐性ある引揚者は戦災学校の窓のないコンクリートにむしろを敷いて雄々しくやっているではないか。それだけの甲斐性もないオヤジの子供だから、盗みをする。どうせ盗癖のある子なら、大阪にはスリの学校というのがあるそうだから、そこで修業させて、親を養わせるがよい。
 正一郎という立派に経済科出身の学士が、誇張じゃなしに、こういう思いきったことを言う。シャイロックぐらいに思いきって徹すると、愛嬌のあるところもあり、モヤのかゝったところがないせいか、不潔でないような受けいれ方ができる。
 とうとう幸蔵親子七人を土蔵へ閉じこめてしまった。土蔵も二つあるが、幸蔵の住宅になった方は破れて使い物にならなくなった方で、石ウスだの一斗釜だのという置き場にこまる邪魔物の外は置いてない。畳も敷いてないところへ追いやって、内部を住宅向きにフシンしたけりゃ自分の金でやれという。幸蔵は文なしだから、土蔵の中で動物園の動物程度の生活をしている。
 この幸蔵が貞吉の生還を喜ばないのである。貞吉というヤッカイ者が一人ふえると益々自分たちが邪魔にされるというらしい様子だが、貞吉にはそれが阿呆らしくて仕方がない。動物園の動物以上に虐待の仕様もないではないか。
 けれども、貞吉をいっぱし邪魔物にヤッカイな奴めという風に扱う。それは正一郎が貞吉の生還をウルサガリ、ヤッカイ者に扱うから、それにウマを合わせて正一郎の御機嫌をとり結ぶという様子でもあり、それはお世辞を使ったって一文のタシにもならないのだが、シシとして、たゆまず貞吉を咒い邪魔がっているのである。
 異母妹は衣子と云った。五ツ違いであるが、これが又、御多分にもれず当家のヤッカイ者の一人なのである。
 十九のとき結婚した。男は土豪の次男坊で、東京で銀行員をしていたが、二人の生活は幸福ではなく、その原因は衣子の我がまゝにあったという話である。男はマジメ一方の秀才であったそうだが、衣子は亭主と打ちとけず、姑とは仲が悪く、昼は外出して映画を見たり遊び歩いていたそうで、男の子が一人できたが、姑にまかせっ放しで母親らしくしてやったことも無かったそうだ。亭主は出征して戦死したが、戦死しなくとも、帰還のあかつきは離縁の肚にきめていたそうで、もちろん婚家へ戻れなくなり、戻る気もない。よって正一郎の完全なるヤッカイ者の一人であるが、子供は婚家にあって一人身であり、なかなか美人だから、いずれはどこか売れ口の見込みがあり、前途があるから家族なみに生活させて貰っている。
 貞吉はまだ分家していない。まだ新憲法に半年ほど間のある時で、さすればこれは民法上家族の一員であるから、生きて生家へ戻るとは怪《け》しからん奴めと表向き言うわけにも行かない。
 三男の忠雄は戦死した。これは分家分禄して、東京に小さな売家を買ってもらい、女房に二人の子供があるが、家の方は戦火で焼けて、女房子供はその実家へ帰っている。この村から十里ほど離れた村の地主の娘だ。
 正一郎は貞吉が帰還した二日目にはもう策戦をあみだして、忠雄の寡婦と貞吉に結婚しろという。忠雄には五万円ほど分禄してやった。それがみすみす他人の生活費になるのもつまらぬ話だから、三男の寡婦のところへ入聟《いりむこ》すれば、ムダなものが一つもなくなって、万事都合がよろしい。
 貞吉はたゞヘラヘラと変テコな笑い顔で、ウンともスンとも返事をしないから、正一郎は馬鹿な奴めという顔をして、
「なア、オイ、お前には分家分禄、そんなもの、ありゃせんぞ。御覧の通り、敗戦以来、地主は田地召しあげ、食う米はない、ヤミの米買う金もない、半年あとに新憲法、どっちみちお前を分家する必要もなし、分禄してやる必要もない。新憲法施行の日から、オヌシは独立の一家の主人、よその旦那だから、このウチから黙って出て行って貰う。分るだろうな。いゝも、悪いもない。承知、不承知もない。法の定めるところだ。だから、忠雄の五万円、お前が継ぐのが身の為だ」
「新憲法はいつからだね」
 貞吉がきくと、正一郎は渋い顔を深めて、
「何の用がある?」
 新憲法施行の前に、貞吉が訴訟を起すとでもカングッタ様子である。
「兵隊から帰ったばかりだから、新憲法が何だか、オレは何も知らんよ。いつから新憲法になるだね」
「来年の五月五日だ」
「なるほど。その日から他人だね。じゃア、それまでネバろうや」
「何をねばるんじゃ。入聟の返事か」
「居候のことさね。その日がきたら、出て行くことにしよう」
 こういうことになっているから、貞吉の生活はあと半年ほど安泰で、村のチンピラ娘でも口説かなければその日を暮す当もないのである。
 貞吉にも、それとなく当座の目当はあった。さしあたりヤミ屋をやろうということだ。つとめる当もなく、手に特別の職もないから仕方がないが、便利の時世で、右から左へ物をうごかすと、金になる。敗戦というものが、こんなに気楽に暮しよいものなら、結構なものだ。昔は物を右から左へ動かしたって、一文にもならぬ。
 こういう便利な当があるから、貞吉は内々安心している。ノホホンとしていても、それとなく目にふれる限りのヤミ屋の流儀を観察して、他日にそなえる心構えが自然に生れているのである。
 然し、正一郎は実際ヤリクリ四苦八苦であった。もっとも火の車だからヤッカイ者を邪魔にするわけじゃない。元々相当の大地主、金満家であったときからヤッカイ者は大のキライで、わが持てる物がいくらかでも減るということは、もてる物が多いほど、尚つらく口惜しく無念なものであるという正一郎の見解であったが、少いものが減るのもヤッパリ同じように無念なものということが分った。
 田地は召しあげられて米は配給になってしまった。然し彼は標高一四五〇|米《メートル》という山塊を屋敷の背中にひかえ、又、谷を距てた前面にも標高一二八〇米から一一〇〇米ぐらいの小連峯をひかえ、これがみんな彼の持ち山なのである。
 彼の県内にも戦災都市があり、冬は寒い国柄であるから、建築用材、木炭、薪、需要は大いにある。けれどもこんな山奥からでは運賃に食われるから、亭々たる大木が無限にあっても宝の山をいだきながら、一文にもならない。戦争中は挺身隊だの学徒隊だのというのが無賃で運送に来てくれたから、このへんの炭焼きは儲けたものだが、今はそれもダメ、有り余って、村内ではマル公の半値以下で捨売りされており、炭焼もこの節は炭を焼かずに田畑を耕している。その田畑はつまり元は正一郎の田畑をマル公で買った性質のものである。
 株券は紙クズであり、預金は封鎖され、この山奥では新円稼ぎに映画館をブッ建てるわけにも行かず、ヤミ会社を始めることもできない。
 米もミソ醤油も配給であり、せめて※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]を買い卵ぐらい盛大に食いたいと思ってもエサがないとは何事であるか。目下彼の最大の秘宝は三頭の山羊で、この乳だけが魔法の泉、エネルギー、生命の源泉というわけで、彼は人にやりたくないから一斗二升ぐらいずつ毎日でてくる魔法の泉を女房子供一家四人で無理して呑む。幸蔵一族、貞吉、衣子には一滴もくれてやらない。
 正一郎はケチのくせに見栄坊だから、自分で田を耕す決断がつかなかった。彼の親類に当る地主たちは、一家ケンゾク各々私田を開墾し、肥《こえ》タゴかついで勇敢にやっているという時節柄だが、彼だけは一|段歩《たんぶ》の私田も残さず、それというのが、彼はひところ何々会社取締役というようなことを三つばかり兼ねていたようなこともあるから、実業界でなんとかなろうと見込んでいたせいもあった。然し、戦争中、山奥の疎開がてら引ッ込んだのが運のつき、人情人心ガラリと変って、もう一度切れた糸をつなぐことはできない。本土決戦、然し、本土が戦場になる前に町が燃えてしまう、まるでもうお焼き下さいというようなタキツケみたいな都市なんだから、タキツケの中に火タタキなどを一本そなえて天を睨んでガンバッたってどうなるものか。
 そこで彼は都市の住居を売り払い、タキツケを何万で買うとはバカな奴よと、一人しすましたり山奥のふるさとに落付き、然し彼はこのとき意外な失策をやった。
 彼は小心臆病であった。嘘かホントか知らないけれども、敵機は夜間に燈火をめがけて投弾する、そこで空襲なぞよその話と電燈つけて高イビキの山奥へ投弾されて、たった一軒ふきとばされたり山林火事になったりする、そんな話もあるところへ、彼の村では燈火を消さずに寝ている奴バラがたくさんある。他人の家はさておき、彼の家のトメという女中とカメという下男は特別に心掛のよからぬ奴で、アカリを消したことがない。何べん言ってきかせてもダメであるばかりか、そんなオメサマ、何千里も海を渡ってとんできて、こんな山奥へ、そんなムダなこと、しませんテバ、と口ごたえする。カメもトメも薄馬鹿であるが、どこできいたか、アメリカの機械といえば日本は遠く足もとへも及ばんもんだ。日本の飛行機ハネ、夜になるとメクラになるからウラトコの山へ落すもんだ、アメリカの飛行機はソンゲナ馬鹿なこと、しませんガネ、と言う。
 もとより正一郎はレーダーの威力を知っているから、この山奥へ逃げこんで、戦車に体当りの下界のモロモロの低脳どもを冷やかに見下していたのであるが、カメに虚をつかれて逆上した。
 カメは正一郎が物心ついた時にはもうこの家に働いていた主のような薄ノロであるが、山羊の乳を飲みへらして持ってくる、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の卵を朝ごとに四ツ五ツのみこんで三ツ四ツ残して運んでくる、青大将のような奴で、二度と卵と乳を呑むとヒマをやるぞと言い渡してもヘラヘラ笑って、この節は炭を焼いても日に百円にはなるもんだ、オラの月給はたゞみたいの二十円で、マンマは腹に半分食せてくれんガネ、ヒマになったらいゝもんだと捨ゼリフして二三日炭焼き小屋へ手伝いなどに消えてなくなり、三日もたつと忘れた顔して下男部屋に戻っており、すでに卵を四ツ五ツ飲んでいるというグアイであった。
 正一郎は都市にいるころは空襲警報にも起きたことがなかったのに、山奥へきてからは、警報がでると猛烈な勢いで屋根裏の下男部屋へ駈け上って、電燈を消す。カメの枕をけとばして、このヤローなぜ消さんか、なんべん言ったら納得するんだ、するとカメは、ねむたい時は返事もせず、枕をけとばされてもグウグウねむり、起きてる時は、
「なアにさ、オメサマ、ここへ落ちれば、いゝもんだ。山奥のコンゲナ古屋敷がミヤコの代りに灰になれば、忠義なもんだ。ウ
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング