がないようなものだけれども、まったく当時は、もう祖国もなければ、戦争も勝敗もありはせぬ、文明も文化も、進歩もいらぬ、一つの電燈も、一本のハガキもいらぬ。原始の土民にしてくれるなら、そのまゝ、耕したり、猟をしたり、食って寝るだけで一生を終っていいと考えていた。
 彼は祖国へ生還して、山奥の村里にポマードとパーマネントが抱きもつれて野菜ダンスをやっていても、文明を感じずむしろ原始を感じ、ビルマのジャングルを思いだしたが、衣子にだけは、先ず文明、いや、原始でないという意味の、そういうものを感じさせられた。それは又、衣子の坐る地盤、石塚家という一つの性格に就てもそうであり、正一郎という原色さながらの我慾、リンショク、その素裸の慾念にむしろ原始ならぬ何か歴史を感ぜずにいられない。それが家と伝統というのだろうか。長い時間のうちに表土がズリ落ちて出てきた岩盤のように感じられてならないのだった。
 衣子が見つめているものは、土民の娘が見つめていたものとは違う。
 彼は何か、文化文明というものへ彼が復帰したその手がかりが衣子のように思われ、自分の思想も先ず衣子という存在から出発させられざるを得ないような
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