資本のためであった。燈油行商の地盤ができると、女房は不要であった。一所不住は仏門の妙諦である。
 彼は諸国をわたり歩き、辻に立って油を売った。まず一文銭をとりだして、弁舌をふるうのである。
「およそ油を商う者は桝にはかって漏斗から壷にうつす。ところが私のはそうではない。漏斗を使う代りに、この一文銭の孔を通して一滴もこぼさずに桝から壷にうつしてしまう。そればかりではない。一文銭の孔のフチに油をつけることもなくうつしてみせる。もしちょッとでも一文銭に油がついたら代はとらぬぞ。さア、一文銭の油売り。買ったり」
 ひそかにみがいていた手錬の妙。見事に一滴も一文銭に油をつけずにうつしてしまう。これが評判となって、人々は一文銭の油売りを待ちかねるようになり、ために他の油屋は客が少くなってしまった。彼はこの行商で大利をあげ、多額の金銀をたくわえた。
 行商で諸国を歩きつつ、彼は諸国の風俗や国情や政情などに耳目をすませた。また名だたる武将の兵法や兵器や軍備についても調査と研究を怠らなかった。一文銭の孔に油を通す手錬なぞは余技だった。彼は自分の独特の兵法をあみだした。
 それはまったく革命的な独創であっ
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