た。その勢力は次第に大きくなった。
「義龍公は土岐の血統だ。美濃の主たる正しい血だ」
その声は次第に公然たるものになってきた。
稲葉城は大きい城であった。しかし一ツの城の中に、その城の主人と、主人を仇敵と狙う子供がそれぞれの部下をかかえて一しょに同居していることは、差し障りがなければならない。
ところが道三は案外平気であった。
「六尺五寸の化け物め。いまにオレが殺されるぞ」
義龍が土岐の血統と名乗るようになったのは、まだ二十の頃からでもう十年ちかくなるのである。彼が土岐の血統なら、道三は彼の父ではなくて、仇である。当り前の結論だ。
道三は自分の立身出世のために人を殺す機会には、機会を逃さず、また間髪をいれず、人を殺してきたものだった。彼は人の顔を見るたびに考える。いまこの人間を殺すこともできるな、と。人間どもが平気な顔で彼と対座しているのが奇妙な気持になることもある。オレの心を見せたいなと思った。
むろん義龍を殺す機会はあった。非常に多くあった。これからも有りうる。信長を殺す機会がいつでもあると同じように。
いつでも殺せるが、オックウだった。なんとなく、そんな気持ですごすうちに、今のようになってしまった。今ではその腹心が堅く義龍をとりまいていて、殺すのも大仕事になってしまったようである。
しかし、早いうちなら義龍を簡単に殺せたろうかと考えると、これも案外そうでないような気がするのだ。
むろん殺す実力はある。今でも殺す実力はある。しかし、実力の問題ではなく、それを決行しうるかどうかという心理的な、実に妙な問題だ。
信長に濃姫を与えたのはナゼだろう? そのころ信長は評判の大バカ小僧であった。自分の領内の町人百姓の鼻ツマミとは珍しい若様がいるものだ。
なぜ鼻ツマミかというと、町では店の品物を盗む。マンジュウとかモチとか、大がい食物を盗むのだ。野良でも人の庭の柿や栗や、腹がへるとイモや大根もほじくって食ってしまう。畑の上で相撲をとる。走りまわる。鼻ツマミとは無理がない。
むろん頭はバカではない。よその殿様の子供のやらないことだけやってるようなバカなのだ。
そのバカが、たしかに道三の気に入ったのは事実なのだが、ナゼ気に入ったかと考えてみると、その裏側に彼と対しているのが、クソマジメで、勉強家で、聖人ぶって、臣下を可愛がって、むやみに殿様らしい様子ぶったことをしたがる義龍という存在だろう。トドのつまりは、そうらしい。
つまり道三にとっては、義龍という存在が、どうやら心理的に殺すことができない存在なのかも知れない。信長という対立的なものを選んで味方にしたところを見ると、自分でもそんな気がするのであった。何か宿命的なものが感じられた。
そして、義龍を殺すことよりも、義龍に殺されるかも知れないということをより多く考えるようであった。いつでも義龍を殺せるうちから、すでにそうだった。
むろん、義龍に殺されるのが心配で、対立的な信長を味方にしたわけではないのである。しかし、今になって、結果から見ると、まるでその予算を立てて信長を濃姫の聟に定めたようなことになっている。あるいは、そういう秘密の気持があったのに、自分ではそれに気付かなかったのかも知れないと考えたりするのであった。
それはまったくフシギな心だ。なぜなら、今だって義龍を殺すことができないわけではないじゃないか。
「どうも、まったく、目ざわり千万な奴だ。六尺五寸もあって、モッタイぶって、バカで、ライ病だ」
しかし、すべてが、オックウだ。六尺五寸のライ病殿に関する限り、すべてがオックウの一語につきる。そして、ふと気がつくと、
「あの化け者めにオレの寝首をとられるか」
そう考えているのであった。久方の光がしず心なく降るが如くに、そう考えているのであった。
★
その年の秋、三男の喜平次を一色右兵衛大輔とした。これにいずれは後をゆずる腹であった。道三は下の子ほど可愛いのだ。
「喜平次はオレも及ばぬ利口者」
こう云って崇敬したが、誰もその気になってはくれなかった。しかし道三は大いに喜平次を崇敬して満足であった。
そして、十一月二十二日、例年通り山下の館で冬を越すために城を降りた。
義龍は十月十三日から病気が重くなって、臥せっていた。道三が冬ごもりから戻るころには大方死んでいるだろうという話であった。道三もそれを疑わなかった。要するに、そんなものか、と城を降りたのである。
しかるに義龍の病気は仮病であった。道三が山下へ降りたので、道三の兄に当る長井|隼人正《はやとのしょう》が義龍の使者となり、喜平次と孫四郎を迎えにきた。
「義龍が死期がきて、いまわに言いのこすことがあるそうだから」
伯父が使者だから二人も疑わない。そして兄の病室へは
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