供であつた。頭のしんへ突きぬける傷の痛さに泣き狂ひながら、子供は母の心を知り、茫然己れを失ふやうな竦む思ひを感じつづけた。こぼれた飯の惜しさにも価ひしない見棄てられた傷が、自分にかくも堪へがたい苦痛を与へてゐることが、奇妙な皮肉に思はれて、自虐的な滑稽感とめくるめく憤怒を覚えた。
その後子供は憎しみにも倦み疲れはてて生長した。憎しみの代りに倦怠だけがあるほどだつた。母の問ひに答へる時ほどつッけんどんな場合はなかつた。同じ問ひを路傍の人にかけられた時は、まだ親しさと温かさとを心にこめて答へるのだつた。たとへば十年会はなかつたおたきに会つて、会はない時のくらしぶりを話してごらんと言はれるのだつた。すると彼はその問ひに答へることほど自分を卑しくすることはないと思ふのだつた。会はなかつた十年間どんな暮しをしてゐようと大きなお世話だ、どんな暮しをしてゐようとおよそ脈絡はないのだから。赤の他人が通りいつぺんの挨拶で同じ問ひを浴びせるなら通りいつぺんの気軽さで答へる手段もあるだらう。同じものを母の形でやられては腹が立つてくるばかりだ。顔の血の気も消えうせて、舌ざはりまで言葉が砂であるやうに空虚にな
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