供であつた。頭のしんへ突きぬける傷の痛さに泣き狂ひながら、子供は母の心を知り、茫然己れを失ふやうな竦む思ひを感じつづけた。こぼれた飯の惜しさにも価ひしない見棄てられた傷が、自分にかくも堪へがたい苦痛を与へてゐることが、奇妙な皮肉に思はれて、自虐的な滑稽感とめくるめく憤怒を覚えた。
その後子供は憎しみにも倦み疲れはてて生長した。憎しみの代りに倦怠だけがあるほどだつた。母の問ひに答へる時ほどつッけんどんな場合はなかつた。同じ問ひを路傍の人にかけられた時は、まだ親しさと温かさとを心にこめて答へるのだつた。たとへば十年会はなかつたおたきに会つて、会はない時のくらしぶりを話してごらんと言はれるのだつた。すると彼はその問ひに答へることほど自分を卑しくすることはないと思ふのだつた。会はなかつた十年間どんな暮しをしてゐようと大きなお世話だ、どんな暮しをしてゐようとおよそ脈絡はないのだから。赤の他人が通りいつぺんの挨拶で同じ問ひを浴びせるなら通りいつぺんの気軽さで答へる手段もあるだらう。同じものを母の形でやられては腹が立つてくるばかりだ。顔の血の気も消えうせて、舌ざはりまで言葉が砂であるやうに空虚になる。十年ぶりに会つた子供は、そこで一語も答へずに、ぷいと立つて庭を眺めに行くのであつた。
そんな冷酷な仕打ちを受けてもおたきの顔色は動かなかつた。同じ冷酷な仕打ちを子供に向つて加へるときと同様に、仕打ちを受けてもその顔色は動かないのだ。おたきの不動の表情が安川にとつて最も苦痛な恐の対象になるのであつた。おたきの不動の表情と母なることの事実とに、どういふ秘密のつながりが隠されてゐるのであらう? それを思ふと、子供の心に、ひたすらな盲目な恐怖がわいた。
安川がおたきのもとへころがりこんで間もない時のことであつた。おたきがいつもと変らない無気味な静かさを宿した声で、牛乳配達は朝の早い商売で、朝起きは三文の得といふとほり早朝の澄んだ空気は身体にも良く、疲れた心にも爽やかだから、人間商売を選ぶなら彼等ほど恵まれたものはないだらうと言ふのであつた。それはどういふ意味だらうと安川は思つた。恵まれた商売だからお前も牛乳配達になれといふ意味であらうか? もともと安川は牛乳配達であらうと自由労働者であらうと商売に軽重をつける気持はもたない男で、生来の怠け癖と非力からさういふ働きを愛さなかつたまでである
前へ
次へ
全20ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング