子供が気の毒でといふ月並な言ひぐさなぞは恐らく用ひもしなからう、彼はただ徹頭徹尾遊蕩に暮した。私の記憶によれば、この父の代ですらなほ家運隆盛な一時期もあつて、ひところ四五十台の機械|機《ばた》を動かした頃なぞが目に浮かぶ。その頃は恐らく全町の機屋でも屈指の盛運にあつたのだらう。中学を卒へてから私は遊学のため上京叔父のもとへころがりこんだが、已にそのころ満身創痍の態にあつた傷心の叔父に懇望され、夏は山、冬は南海へといふ式にまことに道行のやうな愚劣な旅をつづけねばならず、帰省する折がなかつた。ひと春妹の縁談がおこり帰省すると、家に三台の機《はた》がのこされてゐるばかりであつた。三台といへば、わずかに一人の女工によつて動かすだけの数である。その機が妹の結婚によつて又何台か数がふえたといふのだが、いはば妹は体良く身売りをしたのであらう。当時の父は三条の子供のやうな若い芸者にべた惚れのとんと深草の少将で、後日判明した次第によれば、妹の婿は当時父と最も昵懇連日座敷を同うした遊び仲間であつたといふ。然し父とは年齢の離れた三十前後の若者で、重なる遊蕩によつて独特の人品を具えた田舎紳士であつた。友情に軽
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