のだ。それが死のまことの相だ! これを逆説と言ひ給ふな。さういふ諸君は死の相を生きることの他の場所につかみだすことができるだらうか? 棺桶か? 墓地か? もとよりそんな筈はない。死は無限の暗黒、単調であり、静寂に他ならぬともいふ。それを体験した誰があらうか! むしろ斯様な理窟よりも地獄絵図に死の相を見るのが自然の感情に近いのだ。然し私は死の体験を語る者のないことを幸ひに、生きることの他の場所に死の相を見出すことができないから、結局死は生きること、そのことだと左様な揚足をとつてつめよる心算は毛頭なかつた。私は高遠な真理を言ひあてやうといふのではない。私は実は俗論派だ。然しただ、一つの見方の相違から生き方の相違が生れることを信じ、とにかく私の生きる姿が見たいのだ。
 死後の無限なる単調、断末魔の苦痛、不可知への怖れ、死を怖れるそれらの理由は或ひは真実にちがひない。然しそれも今ではどうでもいいことだ。我々の現在はたとひ時にそれらの恐怖を覚えることがあるとしても、それが直接生きることの問題にはならないからだ。我々の問題はもとより常に生きることの中にある。そして、生憎のことには我々の生きる姿は死
前へ 次へ
全125ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング