近な、実際的な憎悪に就いて、偽りのない感想を述べてゐるのです。結果に於て肉体には理窟のあつた例しがないにも拘らず、我々の過去が単に後悔するために如何に架空な、然し高遠らしく見えるところの理窟をもてあそんだか、といふことを、私の若い経験ですら知つてゐるからです」
「いいや、お前はもつと純粋な魂をもつてゐる筈だ! 少年の叡智をまだ失つてはゐない筈だ! 私は知つてゐる! お前は墓をあばいて屍肉を姦すことはあつても、一本の野花を手折ることでも怖れと悲しみを感じる時がある筈だ!」
 熱狂して喚く叔父の様子は、その動作表情を一途に圧し殺してゐた殆んどアラーを祈る回教徒の激しい身振りを見ることと同じ印象を私に与へた。すると彼は突然ワーと泣きだした。急に四囲が静まりかへつて、彼の破《わ》れさうな泣き音が、私には異様な怪獣の咆哮としか思へなかつたが、いや増しにガンガン室内にふくれあがつてきたのである。エエ畜生め! と私は思はず心に怒鳴つた。この年老いた怪獣は到頭涙にまで偽られてゐるのだな、と。
 芹沢東洋は最も急がしい動作で、泣きぢやくりながら、室内をうろつきはじめた。帽子をとるために、包みを探すために
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