があつたほどだ。なぜといつて、考へてみたまへ、秋子が峠の子供をみごもつた頃、已に彼女は私に対して並々ならぬ厚意を示してゐたではないか! 高潔な娘の姿を示しはじめた後ではないか! 苦しみのために、私は泣いた。
私が絶望のために四囲の正確な姿を見失つてゐるころ、秋子は然し異常な決断をもつて行動を起しはじめてゐたのであつた。みごもりながら秋子は峠と絶交した。絶交しやうと努力した。つづいて叔父に対しても冷めたく振舞ひはじめたのだ。叔父に混乱が起つたのはその時からのことだつた。さうして、混乱の中ではただ一つ研ぎ澄まされた疑心によつて、薄々は気付いてゐた私と秋子の交遊に最悪の断定を空想すると、全くもつれた紐のやうに苦しみはじめたのであつた。然し叔父の混乱に対して、意外なところからエピロオグ的な思はぬ鉄槌が落ちてきた。峠勇が突然アトリヱへ現れるといふ興味ある劇的一場景があつて、叔父の混乱に荘厳な結末――あの目当のない放浪に旅立つといふ契機を与へたのであつた。
その日は丁度授業の時で、アトリヱには娘子軍が勢揃ひもしてをり、勿論秋子も居合はした。取次に現れたのは私であつた。受取つた名刺の中の名前を読
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