る。自分乍ら毒々しいと思ふほど、苦りきつた顔もしがちだ。按ずるに答への義務があると思へばこその話で、路傍の人に対してなら、厭な顔もみせない代りに、返事もしないで通りすぎてしまへばいいのだ。いや、それどころか、路傍の人に対しては時々ひどく親切だ。聞手の頭が痺れるほどの綿密さで、間違ひのない道順を教へるために数分の労力を費したり、右と左に別れる時には厭な思ひをさせないためにわざわざ微笑を泛べることも、その程度の無駄な厚意は齲歯《むしば》が疼く時でさへ気分によつてはやりかねないのだ。私のこんな親切が自分の場合にかけられた覚えのない妹は、驚いたり疑ぐつたり自分一人の断定を下すために急いだりする。あらはに不満を表はして、私が常々肉親に対して誠実な答へと信頼が欠けてゐると難じたこともあつたのだが、陰へまはると、たとへば叔父や友人に向つて、うはべの冷酷と微笑を忘れた堅い顔はもはや性格化されたペッシミズムの結び目に当る宿命の瘤で、裹《つつ》まれた心の温かさは人にも稀れであるといふ。この種類の、又この深さの解釈は屡々女性が行ひがちだ。彼女等の現実的な眼光は甚だ辛辣に扮装の下を射抜いてくるが、ある限度の深
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