彼はその年頃にシヨペンハウエルを最も熟読したと語つてゐる。不惑に近い齢を迎へて、最後のパトロンヌと入婿の形式をもつて結婚した。彼が芹沢姓を名乗るのは、この故にほかならない。女には先夫の子供が三人あつた。牝牛のやうに精力的で、悦楽のためにしか生きることを知らうとしない女の本能の迫力の前に、傷《いた》められ竦《すく》められた半生の姿をまざまざとかへりみながら、焦燥や怒りや悲しみを始めて痛切に感じたのだつた。女に愛された数々の記憶はあつても、心底から女を愛した覚えのない寂寥なぞも、いはば贅沢な感傷であるが、胸を流れた。それと同時に、又同様に、数々の絵を描き残しはしたが、ここに我ありと絶叫して悔ひない底《てい》の作品を嘗て物した覚えのない寂寥が、恰も女と表裏の関係をなすが如くに感傷の底につきまとひ、その焦燥や怒り寂寥悲しさを鋭いものにさせてゐた。
 扨《さ》て、蕗子は芹沢東洋が自分から働きかけた始めての女であつた。蕗子の愛をかちえた時、様々の難儀の後に、たとへば蕗子の家族との錯雑を極めた折衝なぞを乗り越えて、漸く蕗子を囲ふことができたときには、それが単に一女性の愛をかちえたことではなく、絵に就いても言ふまでもなく生活の全面に於て新らたな光りと出発を獲得したのだと熱狂して人にも語り、自らも固く心に信じたのは、一時の亢奮ではあつたにしても、贋物ではないのであつた。言ふまでもなく当時の彼の一方ならぬ寂寥や怒りや焦燥や悲しさから無我夢中に飛びついた一獲物ではあつたにしても、彼の心は偽りなしに、むしろ狂的なひたむき[#「ひたむき」に傍点]をもつて、全面の生活が、生命力が、ここに新らたに始まるのだと意気込んだのは無理に強めた空虚なかけ声ではなかつたのだ。勿論その正体は枯草のやうなものでもあつた。半年一年とたつうちには、始めの意気込みが過重な負担に変り、やがては形を変えてのつぴきならぬ絶望にさへ変つても、然も芹沢東洋は蕗子への愛と新らたな出発への光明をあくまで信じつづけてゐたほどであつた。
 芹沢東洋の囲ひ者となる時まで、蕗子は女子大学の学生であつた。生家も決して貧しくはなく、当然良家へ嫁して然るべき娘が、甘んじて不惑の書生の二号におさまるといふ異数の出来事を回想しても、私は当時の異常な情熱に燃え、熱狂に自失して最前線を疾走する傷ついた兵士のやうな猪突的な力強さで、蕗子の家族と折衝し、蕗
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