筈はない。
私は勤倹精神だの困苦欠乏に耐へる精神などゝいふものが嫌ひである。働くのは遊ぶためだと考へてをり、より美しいもの便利なもの楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み歪むべき理由はないと信じてゐる。尤も私は、遊ぶことも、近頃はひどく退屈だ。私の心を本当に慰めてくれる遊びなど、私はこの現実に知らず、又、見出してゐない。
マノン・レスコオの作者プレヴォは本職はカトリックの坊さんであるが、神、絶対に就て考へ、人間の幸福に就て考へる一人の僧侶が天性の娼婦を描き、その悪徳を地上の至高の美果の如くに描きだしたといふことは或いは大いに自然のことであらうと思ふ。そしてマノンの天性は又女一般の隠された天性でもあるが、天国の幸福を考へる前に人間が地上の幸福を追求するのも自然で、然し、人間は殆ど生れながらにして天国のために地上を犠牲にしてゐるのだが、かゝる訓練と習慣と秩序に対して、僧侶自身が反逆し疑ふことは思想の正規の発展の段階であり、毫も不自然ではないのである。疑ぐらず反逆しないのが不思議なのだ。
人間の動物性は社会秩序といふ網によつてすくひあげることが不可能で、どうしても網の目から
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