ので、高い文学になり得る筈はないのだ。怪談の凄味は自慢の種になるよりも、その国の文化生活の低さを物語る恥のひとつと思つてよからう。
私はかやうな素朴な恐怖におびえる自分がたいへん厭だ。然し私のあらゆる理知をもつてしても、とうてい幽霊の存在を本質的に抹殺し去ることができないので、私に残された唯一の途は、幽霊と友達づきあひするよりほかに仕方がないといふことだ。さうして幽霊への本能的な恐怖を柔げるよりほかに方法がないといふことである。
先日「幽霊西へ行く」といふ映画がきた。幽霊を滑稽化し、恋をさせたりして如何にも我々に親密なものとし友達づきあひのできる程度につくつてゐるが、それはただ外形的なことであつて、幽霊の本質的な凄味、「死んで恨みを晴らさう」といふ素朴な思想は生のまま投げだされてゐるにすぎない。幽霊の本質的な性格や戦慄を我々の親しい友達としたものではないのである。
幽霊をさかんに登場させたヂッケンスも、然しその幽霊達は昔ながらの素朴な幽霊の概念であり、「死んで恨みを晴らさう」といふ不逞な思想を我々の親しい友とするために役立つことは全くなかつた。
私の知る限りでは「死んで恨みを晴
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