。
醜悪な、暗い何物を思ひだすこともできなかつた。
「信ちやん。僕は今度は君の衣服をつけた姿が怖い。今日も、これから、君の衣服をつけた姿を見るのだと思ふと」
「だつて、いつまでも、かうしてゐられないわ」
「僕はもう君の裸体を見てゐる時しか、安心できなくなるだらう。切ないことだ」
谷村は思はず呟いた。切ないことだ、と。然し彼は爽かであつた。その疲労の激しさ、全力の消耗された虚脱めむなしさにも拘らず。
肉体とは、このやうなものでも有りうるのか、と谷村は思つた。なんといふ健康なものだらう。谷村のすべての予想が裏切られてゐた。然し、いさゝかも、悔いはなかつた。この女は、何者であらうか。果して明日も今日の如くであらうか。
そして、谷村は自分の悲しい肉体に就いて考へた。今日の幸を、明日の日は必ずしも予想し得ない肉体に就いて。思ひめぐらせば、この日のすべては不思議であつた。たゞ一つ悲しい不思議は、彼の情慾のこの一日の泉のやうな不思議さだつた。すると彼はわが肉体に就いてのみ、暗さを感じた。むしろ羞恥と醜怪を感じた。
彼は素子の肉体を考へた。その醜怪を考へた。魂の恋とは、むしろ肉慾の醜怪なこの
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