ないわよ。谷村さん」
「でも、それだつたら、口説きがひがあるぢやないか。え、谷村さん。面白いね。ぜひとも自爆するのだよ」
 藤子は信子の情夫の名前を一々列挙した。画家もあれば、実業家もあり、商人もあれば、歌舞伎の名優もあつた。いづれも中年以上の相当の地位と金力のある人ばかり、岡本などに目もくれなくなつたのは当然だといふ話なのである。
「あなたはいつか信子さんは処女ぢやないかと仰有つたでせう?」
 藤子の目は光つた。
 岡本の弟子に小川といふ青年がある。谷村も知つてゐるが、一本気の気質で、然し、気まぐれな男であつた。この男が信子を口説いた時に、私は処女よ、と信子は言つたさうである。彼はふら/\になるまで信子を追ひ廻して、結局崇拝者といふ立場以外にどうなることもできなかつた。信子は青年は相手にしなかつた。青年はたゞとりまいて崇拝することができるだけ、つまり青年は一本気で独占慾が強いから、信子は崇拝者以上に立入らせないのである。それが藤子の話であつた。
「私は処女よ、なんて、処女はそんなこと言はないものよ。言ふ必要がないのですもの」
 藤子は益々谷村を見つめた。
「谷村さん。なぜ、私がこんなこと言ふか、分る?」
 谷村は答へなかつた。その目には残酷な憎しみがこめられてゐるやうだ。藤子もさすがにてれたのか、目をそらして、くすりと笑つたが、
「谷村さん」
 又、目が光つた。
「あのね。信子さんはね、多分、あなたにも言ふと思ふわ。私、処女よ、つて。予感があるのよ。きつと、言ふわ。そのときの信子さんの顔、よく見て、覚えてきてちやうだい。陳腐な言葉ぢやないの。あなたが、そんな言葉、軽蔑できれば、尚いゝのだけれど」
 谷村は別のことを考へてゐた。
 藤子の邪推からも結論されてくることは、信子の生きる目的は肉慾ではないといふことだ。信子の生きる目的は何物であらうか。男をだますことだらうか。金をまきあげることだらうか。それは目的といふよりも、本能的なものだらう。なぜか谷村はさう思ふ。彼の頭に岡本の天性の犯罪者といふ呪咀の声が絡みついてゐるのであつた。この年老いた破廉恥漢の呪咀の声ほど信子に就いて的確なものは有り得ない。肉慾専一の岡本は信子を犯罪者と見るのだが、谷村の場合に別の意味であるかも知れぬといふことが彼に勇気を与へてゐた。信子に人を迷はす魔力があるなら、迷はされ、殺されたい、と谷村
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