つた。微塵も邪気のない顔だつた。そのほかには、あらゆる感情が表れてゐない。あどけなさがあるだけだつた。
「あなたは驚くべき夢想家よ。でも、面白い夢想家だわ。無邪気な夢想家かも知れないわ。私を辱しめる罪を見逃してあげればのことよ。でも善良に買ひかぶられて取りすまさなければならないよりも、不良に見立てられてその気になつてあげるのも面白いわ。私は遊ぶことは好きですもの」
「それなんだよ、信ちやん。僕がさつきから頻りに言つてゐることは」
「まア、お待ちなさい。あなたのお喋りは」
と信子は手で制したが、心底からハシャイでゐる様子であつた。それは一途に無邪気なものにしか見えなかつた。見様によれば、平凡な、遊び好きの、やゝ熱中した娘の姿にすぎなかつた。
「あなたは全てを適当にあなたの夢想にむすびつけてしまふのですもの。私はそんな風に強制されるのは、いやよ。私は、私ですもの。肉体のない女だなんて、をかしいわ。私は幽霊ぢやないのですもの。それに犯罪者だなんて、被害者に注文されて犯罪する人ないことよ。でも、遊びは、好き。贋の恋なら、尚、好き。なぜなら、別れが悲しくないから。私は犬が好きだけど飼はないのよ。なぜなら、犬は死ぬから。すると、悲しい思ひをしなければならないからよ。私は悲しい思ひが、何より嫌ひなのですもの。私が悲しむことも、いや。人が悲しむことも、いやよ。私は半日遊んで暮したい。半日はお仕事するのよ。私はお仕事も好き。何か忘れてゐられるから。遊ぶことすらも、忘れてゐられるからなのよ」
信子の顔はほてつた。言葉はリズミカルに速度をました。それは、やゝ、狂譟《きょうそう》といふべきものだ。顔のほてりが谷村に分るのだから。
「あゝ、あつい」
信子は振り向いて、窓際へ歩き去つた。
★
贋の恋の遊びなら尚好き、と信子は言つた。それは告白に対する許しだらうと谷村は思つた。
ところで、谷村は許しに対する喜びよりも、更に劇しい驚きに打たれた。それは信子の顔のほてりであつた。それはまさに予期せざる変化であつた。暴風の如き情熱だつた。顔に現はれたのは、たゞ、ほてりにすぎなかつたが。
谷村は信子に就いて極めて精妙な技術のみを空想してゐた。かりそめにも荒々しい情熱などは思ひまうけてゐなかつた。顔のほてりは、たゞそのことを裏切つたのみではない。信子に就いての幻想の根柢
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