(三)[#「(三)」は縦中横]
私のは精神上の放浪から由来する地理上の彷徨だから場所はどこでもいいのだ。東京の中でもいい。時々一思ひに飛び去りたくなる。突然見知らない土地にゐたくなる。土地が欲しいのではなく、見つめつづけてきた自分が急に見たくないのだ。だから私の放浪は土地ではなく酒でもいいのだ。それが可能な国にゐたら阿片吸飲者になつてゐたかも知れないと思ふ。私の生活は寧ろ甚だストイックだが、この魂の放浪に対しては凡そだらしなく自制心がないやうである。だから旅では非常に軽卒な恋愛をする。
一夜の遊女に戯れるなぞといふのではなく、軽率な感傷に豪毅な精神を忘れたあげく、いつそあの女とこの土地に土着してしまつたら痴呆のやうに安楽であらうと考へるのだ。言ふまでもなく私自身がかういふ自分を軽蔑してゐる。然し旅には旅愁といふ素朴な魔物がゐるのだ。私の旅愁やら理知を逃げる傷心やらが旅先の女に投影されてゐるのだから、女が救ひにも見える愚かな一時があるのも莫迦らしいと言ひながら時々仕方がない時もある。
なんの用もないのに突然ふらりと故郷の新潟市へ行つた。私の生家はもうないのである。食堂車で二合瓶を十六本平げた時で、新潟へ着いてからどういふ順でこんな宿屋へ来てしまつたのだらうといくら考へても分らなかつた。翌日幼馴染の婦人に会つた。私と同年配だから女としてはもう年増だ。一緒に食事をし、ダンスホールへ案内されたが私は踊りを知らない。ソファに埋もれてぼんやりしてゐると、女も踊らうとはしないで矢張りソファに埋もれてボンヤリしてゐる。東京のダンスホールと違ひ、田舎のダンスホールは設備こそ匹敵するが踊る人は数へる程しかゐないからちつとも陽気ぢやない。朦朧と疲労して外へでると、暫く沈黙をつづけて歩いたのち、急に女が私は自殺のことばかり考へて生きつづけてゐると言ひだした。だけど一人ぢや死にたくないと言つたのである。自殺は好きぢやないと私は答へた。そしてその日はそれだけで別れた。
私は聖母の理想といふものと自殺とは同じものゝ裏と表だと考へてゐる。そしてどちらも好きになれない。そのくせこの旅先ではこの一夜から急に自殺――心中のことを偏執しはじめた。そしてそれが自然に見えた。
翌日もその翌日も、それからの十日程といふものは毎日女に会つてゐたが、今日こそ心中のことを切りだして一思ひに
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