とです。心中行までに彼が小夜子サンに語ったところによると、彼は何か重罪を犯しているように思われるのです。彼が心中したのは小夜子サンを愛するせいではありません。なぜなら愛情からの心中は全然理由がないのです。それは小夜子さんが認めていました。そして、むしろそのために小夜子サンはいっそ楽に死のツキアイをする気持になれたもののようでした。
要するにセラダは自殺しなければならないような崖に追いつめられていたのです。断片的に小夜子サンに語ったところによりますと、大仕掛の密輸のせいだとも云いましたし、ギャングの一味だったせいだとも云ったそうですが、また共産党の一員で赤色スパイだとも云ったそうです。どれが本当なのか見当はつきませんが、ともかく死の崖へ追いつめられるほどの何かですから小さなことではありません。まだ証拠があがらないから大丈夫だが、遠からず証拠があがりそうだと語ったそうですが、そうだとすればギャングの方ではなくて、大密輸か赤色スパイの方でしょう。ともかく小夜子サンが単純な死の道づれにすぎなかったことは確かです。
取調べをうけたセラダはまだ証拠があがらなかったのか放免されて、その足でさっそくウチへやってきました。このドサクサに自動車を売りとばす必要があったらしく、テクでやって来ましたが、その翌日の夕方にはもう別の立派な自動車で乗りつけて、例によってブーブーとやけに鳴らしておいてから重々しく乗りこんできました。
セラダはいよいよ金につまったらしく、どこかに隠しておいた貴金属類十ポンドほどを法本の事務所へもちこんで現金にかえてくれるようにたのんだそうです。
「まさか日本で仕事をした品物じゃないだろうね」
と法本がききますと、セラダはニヤリと笑って、それには答えず、
「ネエ、腕ききの若い社長サン。ボクと日本でコレやらない? キミ相手みつける。ボク、やる。フィフティ、フィフティ(半分半分)」
ホンモノのピストルをとりだしてギャングのマネをしてみせたそうです。
このときすでに法本は彼が法によって死の崖にまで追いつめられているらしいのを日野の報告で聞いていました。まさか、とタカをくくっていたわけでしたが、この一言にただならぬ何かがこもっているのを見て、さては根のない噂ではないと直感したとのことです。
しかし法本は用心ぶかい男です。自分の直感を信じることを急ぐ男ではなかったのです。それに彼はにわかに慌しく危い綱渡りを急がねばならないほどつまってもいませんでした。
その場は冗談でまぎらして、いずれ宝石商の鑑定をうけた上でというような商談だけでその日は話を打ちきりました。彼はさっそく宝石商の鑑定をうけて全部で二百万が精一パイという程度の品物にすぎないことを知りましたが、まだ鑑定の結果がハッキリしないからとセラダにはごまかしておいて、セラダが金をサイソクにくるたび二万三万ぐらいずつ与えて、その日はワリカンでウチで遊んだりしていました。
その間に、それとなくセラダの口からセラダの秘密をたぐりだそうと、精密機械のような、そして相手には絶対に感づかれないような心理的な方法で苦心探究していたようですが、それはどうやらムダに終ったようです。悪党は相手を見て要心します。その点セラダはタダのネズミではなかったのです。また知り合いの二世からセラダの素姓をたぐりだそうと努めてみたとのことですが、この方も彼の秘密にまでふれることは全然不可能だったようです。ただ彼が知り得たことで重大なのは、セラダには二世に親友がないこと、彼が二世たちにも秘密くさいウサンな人物と見られており、うしろ暗いことがあってついに自殺するに至るのが別にフシギではないように見られているという事実でした。法本にとっては、それだけでも充分であったのでした。米軍ですら証拠がつかめないようなことを自分の手で突きとめることができようなぞとは思ってもみない男でした。
法本はセラダに自殺させることを計画していたのです。もっとも本当の自殺ではありません。一しょにギャングをやって、しかる後、殺しておいて自殺と見せかけることです。
セラダは心中失敗後、コリもせずまた小夜子サンを口説きはじめて、うむことを知りませんでした。
小夜子サンに本当の愛情がないこと、自分にも愛情がなかったように、小夜子サンが心中したのも当人の都合だけによることだとは知りきっているセラダでしたが、この先生にとってはそんなことは問題ではないのです。人間が生きるとか死ぬとかに愛だの心のツナガリだの理解なぞということが必要だなぞとは考えたこともないらしいです。この先生が信じているのは人生にはネゴシエーションという軸があって、妥協とか示談という完全な共同作業が成立する。要するに女の口説もネゴシエーションです。
しかしセラダのネゴシエーションはやや荒ッぽくなっていました。前とはちがって、やたらにピストルを見せびらかして仕様がないのです。持ち金もつきていますし、運命もつきかけてると見ているらしく、ピストルのいじり方にも昔とちがって稚拙なところがありません。彼の手中のピストルの威力がなんとなく充実して感ぜられ、我々はうッかりしたことが云えないような甚だ心細い気分に襲われて弱りました。トオサンは、
「どうだい。小夜子サンに当分のうち身を隠してもらおうじゃないか。物理の先生の硫酸だって無用の心配とは限らないのだし、セラダの奴、今度はまかりまちがえばドスンと一発、つづいてまた一発、無理心中だぜ。もう熱海とは限らないよ。この店の中でだってやりかねやしないよ」
「そうですねえ。差し当って、どこへ隠れてもらいますか」
「それなんだよ。旅館というわけにはいかないし、なんしろあの美人のことだ、どこへ行っても人目に立つからなア」
美人の隠し場は少いものです。特にトオサンにはいとしくてたまらない女のことだし、ぼくにだってそれは全く同じことです。男のところへは心配であずけられない。世間は広いようでも小夜子サンを安心してあずけることができるような女の心当りは探してみるとないもので、実に弱りました。トオサンはそれとなく小夜子サンにも当ってみて、
「一時身を隠してみては」
「御心配はうれしいんですけど、私、まだ、なんとなくヤブレカブレよ。熱海でアドルムのんだことだって、もう後悔もしていないんです。ピストルでズドンと無理心中なんて、考えても感じ良くは思いませんが、なんとかなるような気もするし、なんとかできない場合にはそれまでということになっても構やしないやという気分もあるんです。心配しないでちょうだいね」
変にサバサバしているのです。それが、どうも、無理にしているようなところがミジンもなくて、明るくホガラカにサバサバしているのですから、手がつけられない気分にさせられてしまうのです。
トオサンやぼくたちのこの気分に目をつけたのは法本でした。奴めも商売を忘れることのない人物ですから、セラダに利用価値がありと見ているうちはセラダの女を失敬するような青くさいことはしッこないのですが、法本だって木石ではありませんから、かほどの麗人に心の動かぬ道理はありません。
セラダの命数も、彼の計画によれば、一ヶ月とは持たないはずになっていたのです。小夜子サンを手ッとりばやくかどわかすには、セラダの生きているうち、トオサンやぼくらが小夜子サンが身を隠すのを期待しており、つまり彼のかどわかしに嬉々として協力の情熱を惜しまぬ時期に限るようです。セラダが死んでからでも小夜子サンをモノにする時間も機会もあるでしょうが、それには金も時間もかかって、決して賢者のとるべき道ではなかったのです。
法本は日野をよんで、こんな風に相談をもちかけたのでした。
「キミの親戚の元貴族に小夜子サンをかくまってくれて、セラダのピストルや小坂信二の硫酸から守ってくれるようなヤンゴトナキ大人物はいないかなア」
「そんなものはいやしないよ。元貴族なんてみんな落ちぶれて大方人の脛をかじる方が商売なんだもの、これぐらいタヨリにならないのは今どきめッたにありやしないよ。第一、彼らは勘定高くって、およそ人助けには縁のない利己主義者なんだ」
「しかし、元貴族というのはセラダや小坂に対してはニラミがきくと思うんだがね。かりに隠れ場所が分っても彼らはにわかに手をだしかねると思うんだよ。だから、実際にそういう貴族が存在しないとしたら、ぼくらの手でそれらしい人物をつくりあげてみようじゃないか」
「ぼくの元貴族の肩書ぐらいじゃ、その細工に助力できる力はないなア。先生の手腕で、いいようにやっとくれよ」
「そうかい。それじゃア、ま、このことは他言は絶対無用だぜ」
法本はこう日野に念をおしたそうですが、以上はまア法本一流の伏線、小細工と申すものです。小夜子サンかどわかしの場合の要心と、またこのように釣糸をたれてみて、魚のグアイをさぐるような意味もあった次第です。
日野はそのころ時々金まわりのよいことがあってウチでメートルをあげることがありましたから、果せるかな酔っぱらって、このことをトオサンやぼくに語ったものです。これをきいて膝をうって喜んだのはトオサンでした。
「さすがは法本サンだねえ。元貴族とはいいところへ目をつけるよ。元宮様ならこれに越したことはないが、数が知れてるから細工がきかねえや。さっそく法本サンの智恵をかりて小夜子サンを安全地帯へ移そうじゃないか」
ぼくはその時ジッと日野の顔を見ていました。トオサンの言葉なぞは聞かなくたって判っています。日野の奴はなおさらでトオサンがポンと膝をうつことまで承知の上で云ってるのです。こやつどこまで正気かとぼくはこみあげる怒りを押えて奴の顔を睨みつけていたのです。
小夜子サンをかくまうには元貴族が安全だとは、ふざけているではありませんか。我々の場合、かくまうとは隠すことです。隠すに元貴族も元宮様も必要があるものですか。必要なのはゼロやXだけではありませんか。いわんや、わざわざ元貴族のニセモノをつくって、そこにかくまうとはナンセンスにすぎません。
法本は冷血な悪魔です。たくらみだけで生きてる奴です。もっとも、ぼくも同じようなものですし、客商売のぼくらの場合、人殺しでもお客はお客、人を殺して盗んだ金でもお金はお金、よけいなことは考えません。けれども、こと小夜子サンの場合は別で、商売とは別個のぼく個人の問題でもありますから、黙って見ているわけにはいきません。
元貴族のニセモノを仕立てて小夜子サンをかくまうなぞとはトオサンをだましてていよく小夜子サンを誘拐する手段にすぎないということは、日野の奴むろん承知の上で云ってるのです。奴がニヤニヤ笑っているのはトオサンの味方の顔なのか、法本の味方の顔なのか。どっちを裏切るつもりなのか。双方裏切ることだって奴めは至極平気なのです。なぜなら奴はその裏切りが裏切りとして通用しないことを知ってるからです。ただニヤニヤと笑いながら、しかも酒に酔っぱらって、法本がニセの貴族を仕立てて小夜子サンをかくまう計画をもっているよともらしただけでは一応誰を裏切ることにもならないばかりでなく、むしろ双方から味方と思われる可能性の方が多いことも計算に入れているのです。場合によっては、そんな風に云い逃れの可能性もあることを計算の上の仕事なのです。
ぼくに見破られていることに気附くまで、ぼくは何分間も奴めの顔を睨みつづけていました。奴めはいちはやく気がついた様子でしたが、対処の策が定まるまで気づかないフリをしていました。彼は急に慌てたフリをして、顔を赤らめ、
「法本はとても良い人なんだ」
と云いました。そこでぼくは意地わるく、
「キミは法本はわるい人だと云うべきか、よい人だと云うべきかと考えた上で、よい人だという方を選んだんだね。キミは法本に味方する気だね、ぼくたちよりも」
「そんなことはないよ。ぼくは純粋に法本を信じてるんだ。彼は当代の人物だよ」
「するとぼくやトオサンはどうなんだ。当代の人物のギセイになってもいいような、とるにも足らぬ人物か」
「そんな云い方はよ
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