ね。木石じゃアないから、仕方がないよ。しかし、寒いな」
 秋でした。日野は座ブトンをしいて外套をひッかぶって寝てみたのですが、隙間風がたまらないから、外套をきて壁にもたれて坐り、膝の上にも座ブトンを当て腕をくんで睡りましたが、案外にも夜が明けるまでそのカッコウで睡ることができたそうです。
 トオサンが日野をシンから信用するようになったのは、その一夜の出来事が判ってからです。さすがに育ちだなアと全然斜陽族にきめこんでしまった次第ですが、オレの若いころはそんなことはできなかったものだというのがトオサンの述懐で、そう云われてみると、ぼくなぞもできない方かも知れませんが、しかしこれは日野がずるいせいなんです。
 奴は全部計算の上でやった仕業に相違ありません。八千代サンは洗いざらい人に喋ってしまうタチですから、その一夜の出来事がトオサンはじめ一同に筒ぬけになるにきまってるのを見ぬいた上での演技なんです。日野にとってはトオサンの信用を得ておくことがまだ処世上必要ですから、慾情をギセイにしても、トオサンの気に入るようにすることが得策だと計算したにきまっています。奴が八千代サンを愛してるのは確かですが、それは決してこの一人の女というような愛情ではなくて、肉体をもとめているだけの愛情にすぎないのです。
「八千代サンのオッパイはまだ小さくて堅いね。発育不完全というよりも、ちょッと不具者の感じだな」
 というようなことをふだん云ってたのですが、そんな云い方は無関心でも云えないし、軽蔑の念がなくても云えない性質のものだろうと思います。ですから彼が八千代さんに肉慾的な執着をもっているのは明白なんですが、トオサンの信用を得ておくためには、その執念を抑えることができる奴です。トオサンの信用を得ておく利益と云えば週に二三回ライスカレーにありつくだけのことなんですが、それでも一夜の肉慾よりはマシと見るところに彼の計算法の独自さを見るべきです。これは普通の人間にはできません。乞食根性が身にしみついているのです。生活の最低線を押えておこうという心の働きは誰にもあるかも知れませんが、奴のはその最低線がタダメシで、その週に二三回のタダメシのために愛慾をギセイにできるというのですから、まるでタダメシに身を売っているようなものです。働いて生きぬく人間の誇りなぞはないのです。シンからの乞食根性と云う以外に適当な表現はないんじゃないかと思われます。

          ★

 日野は自分がタダメシを食うばかりではと気に病んでかお金持の法本重信をつれてきました。もっとも法本は金づかいがキレイの方ではありません。女中にチップをはずんだこともありませんし、お酒なぞも飲める口でありながら酔うほどは飲まないタチでした。
 法本は経済学の博士だか教授だかの子供で、これを出藍のホマレと申すのかも知れませんが、ぼくらと同年輩でありながら、株で七八百万もうけたそうです。人によっては千万以上とふんでる者もおります。それをまた株でするようなバカはしません。自動車と家を買ったのですが、それを売って、また、もうけました。それが病みつきでブローカーを開業し、さるビルディングに然るべき事務所を持ってるのです。日野はここへ出入りして、時々なにかにありつかせてもらっていたようですが、タダメシに毛の生えた程度のものらしかったようです。
「これぐらい忠実にやってんだから、オレの事務所で働けよぐらいのことを云ってくれてもよさそうだと思うんだけど、云ってくれないのでね」
 と日野はぼやいていました。彼は法本を社長とよんだり先生とよんだりしていました。なぜ先生かと申しますと、彼は一流のファシズムを信奉しており、その共鳴者が七人いました。そのファシズムは皇室中心主義の右翼とは関係のないもので、権力主義のファシズムです。全てを動かすものは金であるという徹底した金銭中心主義の宗教団体のようなものだと日野は云っていましたが、彼自身もその理論になかば共鳴していたようです。もっとも法本の事務所に働いている人たちは七人の共鳴者のうちの何人かですから、彼も八人目の共鳴者になってその事務所で働かせてもらいたい下心によるもののようでしたが、法本は彼を共鳴者と認めてくれぬ由です。ところが日野は単に打算のせいだけでなく、かなり本心から法本の理論に傾倒している傾きがありました。彼が法本をかなり偉い人と認めていたことは確かです。
 二世のセラダがウチへくるようになったのは法本が彼をウチへよんで何かの商談をやったからです。その当日はこの商談の席に加わるために、日野もよばれてウチで待機していました。彼はどこで借りてきたのか金ガワのロンジンの腕時計をつけ、上等のネクタイに真珠のネクタイピンをさしていました。元子爵の令息としてセラダにひきあわされることになっていたので、どこかで工面してきたのです。今度のは大仕事だから、と奴めハリキッていましたが、今までに比べればいくらか大仕事かは知れませんが、あの利口者の法本が日野を使う仕事だからタカが知れてるとぼくは軽くふんでいました。
 当日セラダは法本よりも先にウチへ到着したのです。表でヤケに自動車をブーブー鳴らす奴があるのです。二ツも鳴らせばわかるのに、三ツぐらいずつ五回も八回も鳴らすので、さては二世のセラダだなとぼくたちに判ったばかりでなく、鼻持ちならぬキザな野郎に相違ないと見当がついた次第です。
 そこで日野とぼくは帳場のノレンの隙間からこの人物を鑑定がてらのぞいて見ていたのですが、小柄でデップリした身体を重々しくノシノシと現したセラダは、出むかえの小夜子サンと出会いがしらに棒をのんだように動かなくなってしまったのです。
 ぼくらよくよく因業な借金とりにでもめぐり会った時でないとこうはなるまいと思いましたが、セラダは正直に口をアングリあけて小夜子サンに見とれました。
「アナ夕日本一美しいですね。ワンダフルです。ワタクシ世界中においてもアナタのような美しい人まだ見たことありません。ワタクシここ打たれました。ここ、ここ」
 と云って、胸を押えて、ピストルを二三発くらったように本当によろめきかねない状態に見えたものです。小夜子サンもさすがに真ッ赤になって物が云えません。急いで彼を用意の部屋へ案内しました。するとセラダも今度は大いにマジメくさって歩きだしましたが、右のポケットを右手で突き上げ突き上げ、お手玉を突きつづけて消え去ったのです。小夜子サンの報告によると、そのポケットの中の物はピストルで、セラダは部屋にドタンバタンと大ゲサに尻もちつくように坐りこむと、そのピストルをとりだして、うるんだような憑かれたような目ツキでピストルをなでまわしたりいじりまわしたりしはじめたそうです。小夜子サンは逃げるように立ち去ってきた様子でした。
「挨拶もしないうちにね。なんのツモリでピストルいじりだしたのかしら」
「挨拶は入口ですんだじゃありませんか」
 と日野が失礼なことを云って小夜子サンを茶化したものです。
「ぶたれました、ここ、ここ、だって云やがらア。ピストル様のもので射たれましたというシュルレアリズム的表現かも知れねえな。たぶん前後不覚なんだ」
 彼はこう云ってキャッという卑しそうな笑い声を発しましたが、実はセラダがうらやましくてたまらぬらしく、ヨダレがたれそうな顔ツキでもありました。
「チェッ! 小夜子サン、真ッ赤になりやがった!」
 と、小夜子サンが赤くなってセラダを案内するのを残念そうに見送っていたのです。
 来るはずの法本がなかなか姿を見せませんので、ふだんならこんなとき進んでノコノコ自己紹介に現れて巧みに印象づけるのが日野の持ち前の性分であるにも拘らず、この日は毒気をぬかれたのか、料理場の片隅にへばりついたり、ちょッとノソノソ動いてみたり、アブラ虫のような挙動が精いっぱいのようでした。彼は甚しくオッチョコチョイの時と、甚しく人みしりする時と二ツあるのですが、人みしりする時は軽蔑しながらも心服したような気分の時にそうなのかも知れません。彼はセラダに自己よりもやや優秀な同類を見出して、ねたましがっていた様子のようでした。あげくに彼は突然呟きました。
「小夜子サン、セラダのものになるな」
 また口走りました。
「セラダの奴、小夜子サンをきッとものにすると思うな」
 むろん小夜子サンのいない時を見はからって云ったのです。二度目の呟きが前のよりも確信的な云い方になったのは、彼自身がむしろそれを望んでいない証拠だったかも知れませんが、するとその時ギックリと鎌首をたてて日野をジッと見つめたのがそれまで熱心に料理中のトオサンだったものですから、これには日野がギクッとおどろく番だったようです。彼はこのとき、はじめてトオサンの悲しい恋心を知り得たかと思います。奴は慌てて帳場へ去りました。
 こういうわけで、法本がせっかく一席もうけた商談は全然役立たずです。なぜなら、セラダは約束をまもらず、万事をホーテキして日となく夜となく毎日毎日小夜子サンのもとにつめきりと相なったからです。
 事態は急速に進展しました。そしてたちまちのうちに例の熱海心中と相なったのですが、これの前に書きもらしてはならぬ重大な出来事があったのです。
 小夜子サンは亭主の物理学者との別れるに別れられない関係にヤケを起していたのです。亭主は書斎にとじこもったきり夜明けちかくまで出てきません。一しょに映画や海や山へ行くではなし、夫婦らしい交驩《こうかん》ということは何一ツやろうとしません。そのくせ夜明けちかく書斎からでてくると必ず肉体を要求することだけは忘れたタメシがないのだそうで、これでは全くケダモノの生活だと小夜子サンは思いつめました。こんな理由で亭主がキライになったらさぞムザンなことだろうと思いやられますが、亭主の物理学者が並みはずれてのヤキモチヤキで、日課として肉体を要求するのもその物理的必然によるらしく、強いて別れると刃物三昧はとにかく硫酸ぐらいは当然ぶッかけられるものと覚悟をきめる必要があったようです。
 セラダがキザで無学で悪党で、どこにも取得がないので、小夜子サンの気に入りました。ヤブレカブレには手ごろでしたのでしょう。その上二世ときてはアツライ向きです。日本人同士のように過度に魂をいためなければならないような要素が少かったからです。トンチンカン以上に魂がふれあう必要がなくて、チェリオとかなんとかやってれば、それで結構憂さは忘れられました。
 小夜子サンがだんだん深間へはまりそうになったので、ここにヤブから棒にとんでもないことが突発しました。それはこれにたまりかねたトオサンが一世一代の沈思黙考のあげく実に突如として愛の告白に及んだことです。洞穴に追いつめられた敗残兵が突如として総攻撃に転じたような悲痛の様が思いやられますが、行われた現象としては必ずしもそうではなくて、素人芝居の中でも一番不出来なのに似ているようなオモムキだったようです。
 トオサンはお茶をのみに行こうと云って小夜子サンを誘いだしました。しかし喫茶店で向いあってる間中、どうしても物が云えず、
「どうだい。競輪へ行こうじゃないか」
 とグッとオモムキを変えて後楽園の競輪場へ行きました。行った以上は車券も買ってみないわけにいかないので、車券を買いに行きましたが、後楽園競輪で車券を買うには人事の全てをつくすていの活躍が必要なのです。右の人波から腕をひッこぬき左の人波から肩をわり、芋を洗う必死の人波を歩一歩漕ぎわけ押しわけてジワリジワリと窓口に進撃しなければなりません。親知らず子知らずどころか、山賊同士ですらここでは行をともにすることができないという難所で、思いをとげ三枚の車券を握ってこの人波からやっと解放された時には魂がゴッソリぬかれていますから愛の告白なぞできるものではないのです。もっとも、車券は当りました。百八十円の配当ですから三八の二百四十円のモウケでした。窓口へ行列してこの配当を受けとり、トオサンはてれかくしに笑いました。
「競輪はくたびれて、いけねえ。どうだい。この二百
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