だときですらトオサンはなんとなくやや重々しく落着いてみせただけで眉の毛一筋だって動かしやしませんでした。けれどもトオサンが小夜子サンが好きだというのは事実なのです。毎日、朝から夜中まで一しょに働いて暮しているぼくにだけは判る理由があったのです。と申しますのは、実はぼくが小夜子サンにひそかに思いをかけておりますからで、同じ思いの人間が小夜子サンも交えて三人一しょに暮しておればそれはおのずと通じないはずはないものです。
 小夜子サンと申す人はここのお座敷女中です。三人いる女中のうちの一人で、とても美しい人でした。女子大中退という教養もかなりの人で、こんなところで働くのがフシギと申すほかない麗人でした。御座敷女中入用のハリ紙をみてこの人が訪ねてくれた時にはトオサンもぼくもびっくりしたもので、
「ハキダメへ鶴がおりるということは申しますが、こんなチッポケなうす汚い安料理屋へあなたのような人が働いたらおかしいや。よした方がいいですよ。よその立派な店がいくらだって雇ってくれますぜ」
 トオサンはむだなことを云わさないと云わんばかりにこう申したものですが、小夜子サンはここが気に入ったから働かせてくれ
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