野が注文しておいた八千代サンと二人分のビフテキをナギナタ二段嬢が運んできたのですが、すっかりむくれた日野はビフテキ二枚ともとりあげて両手に捧げて別のテーブルへ移転です。これをそのまま見送るわけにいきません。八千代サンの胃袋は空腹のため思念もとまれば視力も薄れ失心状態も起りかねないほど急迫していたからです。八千代サンは日野のテーブルにせまりました。その執拗な攻撃力を熟知している日野は両手をひろげて二枚のビフテキの上へ胸もろともにトーチカをつくりました。
「一枚は私のよ」
「ぼくがお金を払うのだから、ぼくのだ」
「だしなさい」
「イヤだ」
たまりかねてセラダが駈けよりました。
「ワタクシたち、別にビフテキ注文しましょう。いらッしゃい」
「それまで待つわけにいかないわ。オナカがペコペコなんですもの」
「では日野サン、一枚ワタクシに売ってください」
セラダはテーブルの上へ千円札をおきました。まさかツリはとらないだろう。千円ならわるくはないと見て、日野はだまって皿を一枚だしました。その隙に他の一皿も八千代サンがサッと横から取り上げてしまったのです。
「よせやい」
「千円で一皿はひどいわよ」
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