奴めもにわかに斜陽族に出世したわけで、それからの奴めの羽ぶり、にわかに斜陽族ぶったキザといったら、ぼくもウンザリするときがありました。
 もともとなれの果ての生活になれていますから斜陽族を利用してタダでメシを食う手に熟練していたばかりでなく、ホンモノの斜陽族に有りうべからざる限度の心得があって、何から何まで計算の上でやっていました。
 ぼくとの関係で阿久津へ出入りするようになったころは斜陽族もそう物を云わない時世になっていましたから、そこは心得たもので、たまに匂わす程度にしか斜陽族ぶりません。ライスカレーを二枚三枚お代りするにもモジモジしてとても上品に乞食ぶるのがあざやかでして、週に二度か三度ぐらい、それ以上は来ません。モジモジしながらいつもライスカレー三枚はペロリと平らげていました。
 阿久津のトオサンはいわゆる酸いも甘いも噛みわけた苦労人でお気に入りには毎日でもタダメシを食わせてくれる人ですが、バカではありませんから斜陽族の乞食演技にコロリといくはずはありませんが、トオサンがシンから日野を信用するに至ったのは村社《むらこそ》八千代の一件からでした。
 八千代サンはヒロポン中毒の可愛
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