度のシクジリでくじけるようじゃア、人間の値打はありやしねえや。しかし、八千代サンには、すまねえ」
八千代サンのいる方角がどッちだか分らないものですから、誰もいない方へちょッと身をねじるようにして何をしたのだか誰にも分らないような素早い動作で合掌をやりましたが、てれかくしか急いで手拭をひッこぬいてハナをかんだりして忙しいことでした。長旅の疲れのせいもあって興奮もいちじるしい様子だったのです。小夜子サンは病後で疲れきっていましたが、これはまた天下の些事には一向に無関心らしくサバサバとカゲリはまったくありませんでした。セラダがいつかの心中の相手だったことなぞは思いだすこともできない様子に見うけられました。料亭阿久津は当分平和が訪れるかに思われたのでした。
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セラダの自動車事故にいよいよ決行の時節到来とみたのは法本でした。二世たちのなかには自動車事故も無理心中の仕損いではなかったかと疑るムキもあったほどで、事実そうかも知れないのです。奴もいよいよせっぱつまったわけですから、早いうちにやらないと、奴は本当に自殺してしまう怖れもあったわけです。
そのころから法本はぼくを警戒するようになっていました。それというのが、ニセ貴族を仕立てての誘拐の件がぼくの見破るところとなったことを日野の報告で知ったからです。小夜子サンが無事戻ったと知ったとき、さっそく花束をもってやってきて、これを小夜子サンに捧げて、
「おめでとう。もうセラダも当分あなたをつけまわせないでしょうから」
なぞとお愛想を云ったのは、むろん小夜子サンをものにしようとのコンタンもあってでしょうが、小夜子サンの身を案じたのがウソではないとの言い訳も半分はあってだろうと推察され、悪党らしくない不手際にぼくはむしろ苦笑を覚えたのでした。しかしぼくが彼にしきりに対抗感を覚えるようになったのは、彼の悪党ぶりに反撥してのせいではなくて、実はやっぱり小夜子サンを彼に渡したくないとの思いつめた気持からです。セラダの時はこれほどの気持は起らなかったのです。してみると、あるいはやはり悪党ぶりへの反感であったかも知れません。奴の悪党ぶりが気に入らないのは奴の存在を知った時からです。日野のほめ方が気に入らなかったのかも知れません。とにかくぼくは日野の言動にはことごとくと云ってよいほど反感をもちたくなってしまうのです。ニセ貴族を仕立てての誘拐の件で法本の小夜子サンへの下心を知り反感の火の手が何層倍も強まったところへ、花束をもっての小夜子サン帰京見舞の一件があってぼくの反感は決定的になりました。つまり彼がぼくを警戒しだしたのと同じころからぼくの方がその何倍も彼を敵に見立てていたのですが、日野にはその色を見せないように注意するのを忘れませんでした。もっともぼくも法本がセラダにギャングを働かせそのセラダを殺害して自殺に見せかける計画をたくらんでいることなどは知る由もなかったのです。
二週間ほどすぎて、セラダは再び毎日のように通うようになりました。おどろいたことには、金も乏しいくせに、二三日目にはまた自動車をブーブー鳴らしてやって来ました。セラダは貴金属類を百八十万円で法本に売った金の三分の二で自動車を買ったもののようです。奴の度胸のよいのにはおどろくほかありませんが、彼が自動車を持たない時の劣等感は特殊なものがあったのかも知れません。彼はこうしてギャングか自殺かいずれかを選ばねばならない窮地へ進んで自分を追いこんだようなものですが、彼はむしろ追いつめられる快感を最後の友としていたのかも知れません。遊びッぷりはむしろ陽気に陽気にと上昇線をたどる一方でした。
ここに奇妙なのは、日野が急速にセラダと親密の度を加えたことです。セラダの八方ヤブレのデタラメさが、日野には敬服すべきものに映じたようです。彼はもともとセラダを一目見た最初の時から、そのオッチョコチョイぶりに圧倒されるところがあったようです。親近感は意外に根が深かったのです。
そして彼のセラダへの直感がいかに正確であったかと云えば、一目見ただけで小夜子サンをモノにするのを予言したのでも判じうると思われます。奴のように無節操な人間にとっては、セラダが八千代サンを奪ってその処女をも奪ったというようなことは問題ではなかったのです。むしろ彼はそれによって一そう親近感と心服を深める結果になっているのではないかと想像しうる理由もあるのです。なぜなら、処女を失った女の日ごとの異変とその酔態に彼ほど熱心でマジメで深刻な見学者はいなかったのですし、それを摂取して成長すらもとげており、かかる異変を現実に示してくれたセラダに対して、彼は敵意どころか、むしろ師と仰ぐていの渇仰や共鳴を深めたとしてもフシギとは思われないからです。
いわばセラダに対する友
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