のです。それに彼はにわかに慌しく危い綱渡りを急がねばならないほどつまってもいませんでした。
 その場は冗談でまぎらして、いずれ宝石商の鑑定をうけた上でというような商談だけでその日は話を打ちきりました。彼はさっそく宝石商の鑑定をうけて全部で二百万が精一パイという程度の品物にすぎないことを知りましたが、まだ鑑定の結果がハッキリしないからとセラダにはごまかしておいて、セラダが金をサイソクにくるたび二万三万ぐらいずつ与えて、その日はワリカンでウチで遊んだりしていました。
 その間に、それとなくセラダの口からセラダの秘密をたぐりだそうと、精密機械のような、そして相手には絶対に感づかれないような心理的な方法で苦心探究していたようですが、それはどうやらムダに終ったようです。悪党は相手を見て要心します。その点セラダはタダのネズミではなかったのです。また知り合いの二世からセラダの素姓をたぐりだそうと努めてみたとのことですが、この方も彼の秘密にまでふれることは全然不可能だったようです。ただ彼が知り得たことで重大なのは、セラダには二世に親友がないこと、彼が二世たちにも秘密くさいウサンな人物と見られており、うしろ暗いことがあってついに自殺するに至るのが別にフシギではないように見られているという事実でした。法本にとっては、それだけでも充分であったのでした。米軍ですら証拠がつかめないようなことを自分の手で突きとめることができようなぞとは思ってもみない男でした。
 法本はセラダに自殺させることを計画していたのです。もっとも本当の自殺ではありません。一しょにギャングをやって、しかる後、殺しておいて自殺と見せかけることです。
 セラダは心中失敗後、コリもせずまた小夜子サンを口説きはじめて、うむことを知りませんでした。
 小夜子サンに本当の愛情がないこと、自分にも愛情がなかったように、小夜子サンが心中したのも当人の都合だけによることだとは知りきっているセラダでしたが、この先生にとってはそんなことは問題ではないのです。人間が生きるとか死ぬとかに愛だの心のツナガリだの理解なぞということが必要だなぞとは考えたこともないらしいです。この先生が信じているのは人生にはネゴシエーションという軸があって、妥協とか示談という完全な共同作業が成立する。要するに女の口説もネゴシエーションです。
 しかしセラダのネゴシエーションはやや荒ッぽくなっていました。前とはちがって、やたらにピストルを見せびらかして仕様がないのです。持ち金もつきていますし、運命もつきかけてると見ているらしく、ピストルのいじり方にも昔とちがって稚拙なところがありません。彼の手中のピストルの威力がなんとなく充実して感ぜられ、我々はうッかりしたことが云えないような甚だ心細い気分に襲われて弱りました。トオサンは、
「どうだい。小夜子サンに当分のうち身を隠してもらおうじゃないか。物理の先生の硫酸だって無用の心配とは限らないのだし、セラダの奴、今度はまかりまちがえばドスンと一発、つづいてまた一発、無理心中だぜ。もう熱海とは限らないよ。この店の中でだってやりかねやしないよ」
「そうですねえ。差し当って、どこへ隠れてもらいますか」
「それなんだよ。旅館というわけにはいかないし、なんしろあの美人のことだ、どこへ行っても人目に立つからなア」
 美人の隠し場は少いものです。特にトオサンにはいとしくてたまらない女のことだし、ぼくにだってそれは全く同じことです。男のところへは心配であずけられない。世間は広いようでも小夜子サンを安心してあずけることができるような女の心当りは探してみるとないもので、実に弱りました。トオサンはそれとなく小夜子サンにも当ってみて、
「一時身を隠してみては」
「御心配はうれしいんですけど、私、まだ、なんとなくヤブレカブレよ。熱海でアドルムのんだことだって、もう後悔もしていないんです。ピストルでズドンと無理心中なんて、考えても感じ良くは思いませんが、なんとかなるような気もするし、なんとかできない場合にはそれまでということになっても構やしないやという気分もあるんです。心配しないでちょうだいね」
 変にサバサバしているのです。それが、どうも、無理にしているようなところがミジンもなくて、明るくホガラカにサバサバしているのですから、手がつけられない気分にさせられてしまうのです。
 トオサンやぼくたちのこの気分に目をつけたのは法本でした。奴めも商売を忘れることのない人物ですから、セラダに利用価値がありと見ているうちはセラダの女を失敬するような青くさいことはしッこないのですが、法本だって木石ではありませんから、かほどの麗人に心の動かぬ道理はありません。
 セラダの命数も、彼の計画によれば、一ヶ月とは持たないはずになっていたのです
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