ワケはなかったのですが、まだ寝みだれ姿で便所へ立って、そこでバッタリと、すでにすっかり仕事着をきたトオサンと顔を合せた小夜子サンは自分の朝寝坊や寝みだれ姿が味気ない気持になって「オハヨー」と顔をそむけて背をむけました。茶のみ友達の窮屈なところでしょうか。茶の湯や活花の類が常にのしかかるような感じがし、それをトオサンが決して強制しないのに、どうも茶のみ話の玄妙に心がいじけていけなくなっていたのです。便所の中でちょッと頭痛がするような苦痛を覚えたのです。
 小夜子サンがまさに便所から出て来たとたんでした。ブーブーブーと景気よく自動車が鳴りたてました。むろんセラダにきまってます。小夜子サンは解放感でフラフラしました。たったそれだけのことです。そこへセラダが本日こそはと意気高らかに乗りこんできて、寝みだれ姿も物かは、いきなり哀願泣訴の意気ごみを見せたものですから、小夜子サンはアラーッ、キャーッと部屋へ逃げこんで障子をバッタリしめて、
「待ってね。いまお化粧して行きますから」
 今までにないキゲンのよい声です。障子のあちら側でセラダがしきりに手をもみ肩をゆすって酩酊状態になっているのは、この店の者なら察しがつこうというものです。
 こういうわけでセラダと小夜子サンは再びアタミの散歩者となったのですが、ここへ来てみれば別天地でした。いつのまに、茶のみ話の妖しい魔術にとらえられてしまったのか、この軽さ、親しさ、解放感、心ゆくまで胸いっぱいの爽やかな孤独感、それらの楽しさを今まで思いだせなかったのがフシギでした。セラダの妙に鼻につかないオッチョコチョイ、居ても居なくても邪魔にならないような、吹けばとぶような軽量感。楽でした。
 話はとんで法本です。彼はまだセラダのもとへ分け前をとりに行くこともできないのでした。なぜなら当局の容疑は彼一人とは限りませんが、ともかくその日の二千万円現送の事実を知るものが容疑からまぬがれないのは当然で、法本やその腹心にはそれぞれ明瞭なアリバイがあってもまだ安心はできないのです。何より安全なのは誰の手もとにも盗んだ現金をもたないことで、やむを得ず涙をのんでセラダの豪遊を見て見ぬフリの切なさでした。むろんセラダの豪遊先、阿久津や熱海へ顔をだすこともできません。このような豪遊人士とツキアイがあるなぞと判明しては一大事で、幸いセラダは二世だから、離れている限りそ
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