。ニセ貴族を仕立てての誘拐の件で法本の小夜子サンへの下心を知り反感の火の手が何層倍も強まったところへ、花束をもっての小夜子サン帰京見舞の一件があってぼくの反感は決定的になりました。つまり彼がぼくを警戒しだしたのと同じころからぼくの方がその何倍も彼を敵に見立てていたのですが、日野にはその色を見せないように注意するのを忘れませんでした。もっともぼくも法本がセラダにギャングを働かせそのセラダを殺害して自殺に見せかける計画をたくらんでいることなどは知る由もなかったのです。
二週間ほどすぎて、セラダは再び毎日のように通うようになりました。おどろいたことには、金も乏しいくせに、二三日目にはまた自動車をブーブー鳴らしてやって来ました。セラダは貴金属類を百八十万円で法本に売った金の三分の二で自動車を買ったもののようです。奴の度胸のよいのにはおどろくほかありませんが、彼が自動車を持たない時の劣等感は特殊なものがあったのかも知れません。彼はこうしてギャングか自殺かいずれかを選ばねばならない窮地へ進んで自分を追いこんだようなものですが、彼はむしろ追いつめられる快感を最後の友としていたのかも知れません。遊びッぷりはむしろ陽気に陽気にと上昇線をたどる一方でした。
ここに奇妙なのは、日野が急速にセラダと親密の度を加えたことです。セラダの八方ヤブレのデタラメさが、日野には敬服すべきものに映じたようです。彼はもともとセラダを一目見た最初の時から、そのオッチョコチョイぶりに圧倒されるところがあったようです。親近感は意外に根が深かったのです。
そして彼のセラダへの直感がいかに正確であったかと云えば、一目見ただけで小夜子サンをモノにするのを予言したのでも判じうると思われます。奴のように無節操な人間にとっては、セラダが八千代サンを奪ってその処女をも奪ったというようなことは問題ではなかったのです。むしろ彼はそれによって一そう親近感と心服を深める結果になっているのではないかと想像しうる理由もあるのです。なぜなら、処女を失った女の日ごとの異変とその酔態に彼ほど熱心でマジメで深刻な見学者はいなかったのですし、それを摂取して成長すらもとげており、かかる異変を現実に示してくれたセラダに対して、彼は敵意どころか、むしろ師と仰ぐていの渇仰や共鳴を深めたとしてもフシギとは思われないからです。
いわばセラダに対する友
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