くケダモノの生活だと小夜子サンは思いつめました。こんな理由で亭主がキライになったらさぞムザンなことだろうと思いやられますが、亭主の物理学者が並みはずれてのヤキモチヤキで、日課として肉体を要求するのもその物理的必然によるらしく、強いて別れると刃物三昧はとにかく硫酸ぐらいは当然ぶッかけられるものと覚悟をきめる必要があったようです。
 セラダがキザで無学で悪党で、どこにも取得がないので、小夜子サンの気に入りました。ヤブレカブレには手ごろでしたのでしょう。その上二世ときてはアツライ向きです。日本人同士のように過度に魂をいためなければならないような要素が少かったからです。トンチンカン以上に魂がふれあう必要がなくて、チェリオとかなんとかやってれば、それで結構憂さは忘れられました。
 小夜子サンがだんだん深間へはまりそうになったので、ここにヤブから棒にとんでもないことが突発しました。それはこれにたまりかねたトオサンが一世一代の沈思黙考のあげく実に突如として愛の告白に及んだことです。洞穴に追いつめられた敗残兵が突如として総攻撃に転じたような悲痛の様が思いやられますが、行われた現象としては必ずしもそうではなくて、素人芝居の中でも一番不出来なのに似ているようなオモムキだったようです。
 トオサンはお茶をのみに行こうと云って小夜子サンを誘いだしました。しかし喫茶店で向いあってる間中、どうしても物が云えず、
「どうだい。競輪へ行こうじゃないか」
 とグッとオモムキを変えて後楽園の競輪場へ行きました。行った以上は車券も買ってみないわけにいかないので、車券を買いに行きましたが、後楽園競輪で車券を買うには人事の全てをつくすていの活躍が必要なのです。右の人波から腕をひッこぬき左の人波から肩をわり、芋を洗う必死の人波を歩一歩漕ぎわけ押しわけてジワリジワリと窓口に進撃しなければなりません。親知らず子知らずどころか、山賊同士ですらここでは行をともにすることができないという難所で、思いをとげ三枚の車券を握ってこの人波からやっと解放された時には魂がゴッソリぬかれていますから愛の告白なぞできるものではないのです。もっとも、車券は当りました。百八十円の配当ですから三八の二百四十円のモウケでした。窓口へ行列してこの配当を受けとり、トオサンはてれかくしに笑いました。
「競輪はくたびれて、いけねえ。どうだい。この二百
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