るとこれだけやる、チリンチリンと一枚ずつ音をさせてみせた上で、又、そっくり持って帰る。手附金だの袖の下というものをビタ一文でも置いて行くようなズルイ奴はいないのである。まさしく実直。国法の罪にかかるところがミジンもない。それどころか、これを放置しておくと、
「鼻介の野郎、ヨダレの三斗もだしやがって、オレが財布をフトコロへ納めたら、イヤハヤ、奴メのタマゲたこと、キンタマが垣根にひッかかったみてえなザマしたものだ。あの慾タカリめが」
 ということになって、ズルイ上にもズルイ劣等人種にされてしまう。けれども、鼻介は心得があるから、そんなことは云わせない。
 人が訪ねてくる。鼻介の住宅は物置を改造したものだから、台所もあらばこそ、部屋は一ツしかない。
「誰だ? ま、はいれ」
 と云うと、戸がスルスルとあく。鼻介の野郎は奥の自在鍋の前にデンと坐っていやがる。ハテナ、誰が戸を開けやがったのだろう、とウロウロ見まわしていると、
「早くはいらねえか。田舎ッぽうのノロマ野郎め。礼儀一ツ知らねえ野郎だ。寒くッて仕様がねえや」
 客がはいると、戸がスルスルと閉じる。奥にいる鼻介は動きもしないし、ほかに人の姿はどこにもない。呆れてボンヤリしていると、隅から座ブトンがスーと動いて自在鍋の前でピタリと止る。
「マア、敷きねえ。ボンヤリ立ってるんじゃねえや。テキパキしなきゃア、日が暮れらア。だから、見ねえ。二十いくつにも成りやがって、子供の智慧もつきやしねえや。ノロマ野郎め」
 見ると、天井も壁も畳の上もヒモだらけである。ヒモは方々から全て奴めの周囲に集っている。これをひッぱると、戸が開いたり閉じたり、鍋や釜もこッちへ来たりあッちへ引っこんだりする仕掛けになっている。
 一方の壁には等身大の人体図が書かれていた。灸点のようなポツポツがタクサン打ってあるのは、これが五百六十五の急所というのかも知れない。
「物は相談だが」
「ナニ。物は相談だと。どいつも、こいつも同じことを云やアがる。なにかい。この土地じゃア、お早う、今晩は、と同じように、物は相談だが、てえきまった挨拶があるのかい」
 こう云いながら膝の下から三四寸の釘のような物をとりあげて、人体図に向ってヒョイと投げる。顔の急所と覚しきところへ釘はピュッと突きささっている。
 客がフトコロへ手を突ッこむと、
「よしねえ、よしねえ。そんなところから何を出したって何にもならねえよ。つまらねえことをしやがる。こッちはベロをだしてやるから、そう思え」
 ピュッと釘を投げる。急所へグサリ。客がそッちを見ているうちに、どうヒモをひいたのか、戸がスルスルとあく。
「戸があいたぜ。帰んな。帰んな」
 と、追いだしてしまう。
 いかに礼儀知らずの岡ッ引とは云え、重ね重ね無礼千万。これ以上放ッておいては、一人の鼻介に十里四方が征服されたようなもの。そこでアンニャの有志が集合して、
「あの野郎をこのままにしておいては、この村に男が居ねと云われても仕方があるめ。こう言われては、末代までの大恥をかかねばならねもんだ」
「そうらとも。どうしても、いっぺん、くらすけてやらねばならねな」
 ということになった。

          ★

 いっぺん、くらすけることになったが、実行の方法がむずかしい。大ボラをふくだけあって多少は腕に覚えがあろうし、江戸で十何年もいた奴はどういう狡智悪計にたけているか知れない。
 近郷近在のアンニャのうちで、衆評一致した豪の者は、草相撲の横綱鬼光、これは強い。六尺三寸、三十八貫、江戸の大関でもあの野郎の鉄砲一発くわせたら危ねえもんだわと若い者をほめたがらない古老が言うほどであるから、推して知るべし。歯が立つ者がないばかりか、奴めにふりとばされると柱の中辺よりも高いところへ叩きつけられて肋骨を折った者もあるし、腰車にかけられてイヤというほど土に頭を叩きつけられて目をまわして息はふき返したが薄馬鹿になったという者もある。押しつぶされて足の骨を折った者もあるし、たった一発の鉄砲で仰向けに五間もふッとんで目をまわしたものは無数であるから、鬼光の鉄砲は封じてあるが、どだい相撲を封じなければ怪我人は絶えない。今では進んで鬼光に勝負を挑む者は一人もいなくなった。これに次ぐ豪の者といえば行々寺の海坊主。坊主には相違ないが、まったく海坊主のような化け者坊主で、名題の山男。熊でもムジナでも叩き殺して食ってしまうという実に大変な奴で、時々荒行と称して山にこもるのは、この味が忘れられないせいだ。
 町の者では米屋のアンニャが、米屋ながらも真庭念流の使い手で、石川淳八郎の代稽古、若ザムライに稽古をつけてやるという達人だ。もう一人、町火消の飛作というのが喧嘩の名人、町奴を気取って肩で風を切って歩いている。以上の四人は万人の許す強い者、
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