落語・教祖列伝
兆青流開祖
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)唐渡《からわた》り

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五十|米《メートル》

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(例)くらすけて[#「くらすけて」に傍点]
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 彼は子供の時から、ホラブンとよばれていた。ブンの下にはブン吉とかブン五とか、つくのだろうが、今では誰も知っている者がいない。ホラブンは子供の時から大きなことばかり言っていて、本当のことを喋ったことは一度もなかったそうである。
 彼の生家は水呑百姓であったが、鶏やケダモノを食うので、村中から嫌われていた。彼の父は怠け者で大酒飲みであったが、冬になると、どこかへ稼ぎに行って、春さきに、まとまった金を持って帰ってきた。村の者は、奴は他国で泥棒してくるのだと蔭口をたたいていたのである。
 ホラブンには二人の姉があって、雪のように白く、絵の中からぬけでたように美しい。けれども村の若者は、四ツ足食いの無法者の娘を恐しがって、手をだす者もいない。
 長姉は城下へでて家老の妾になり、次姉も江戸へでて、水茶屋だか遊芸小屋だかで名を売ったあげく、さる大家の妾になったという。イヤ嘘だ、イヤ本当らしい、と村でも真偽定かではないが、ホラブンはおかげで子供の時から、敬遠されて、遊んでくれる友だちがない。時々村の子供と大喧嘩して、ナグリコミをかけると、相手は三十人ぐらいかたまって逃げまわり、大人もソッポをむいて知らん顔をしたり、一しょに逃げまわッたりした。
 ホラブンは十二の年に村へ渡ってきた獅子舞いの一行に加えてもらって江戸へ行った。越後獅子の国柄で、獅子舞いは一向に珍しくはなかったが、その年の一行には唐渡《からわた》り秘伝皿まわしというのが一枚加わっていて、彼はこの妙技にほれこんだのである。
 すぐ戻ってくるだろうと、誰も気にかけていなかったが、それから二十五年間、戻らなかった。両親は死んで、その小屋は羽目板が外れ、ペンペン草が生え繁り、蛇や蜂や野良犬の住家になっていた。
 ホラブンが戻ってきたのである。
 彼はお寺へ泊めてもらって、村中へ挨拶して歩いた。六尺有余、見上げるような大男、立派な身体である。姉たちがそうであったように、彼も幼少から美童であったが、戻ってきた彼は由比正雪もかくやと思う気品と才気がこもり、大そうおだやかで、いつもニコニコしていた。
 彼は大そう学があった。町から大工をたのんで、小屋をつぶして、立派な家を新築したが、その出来上るまで、お寺に泊りこんで、坊主に代って、寺小屋へあつまる小僧どもに詩文を教えた。
 又、彼には色々の芸があった。
 お寺の門に熊蜂が巣をかけている。この巣は直径一尺五寸もあって、子供たちは門を通過するのに一苦労であるが、坊主は至って弱虫で、殺生はいかんぞ、蜂に手をだしてはイカン、ナンマミダブ、ナンマミダブとふるえながら門の下を走って通っている。
「和尚さんは熊蜂を飼っていなさるのかね」
「そうではないが、実は怖しくて十何年というもの手が出ない。これがあるばッかりに、この十年どんなに心細い思いをしているか分らない。ひとつ、なんとかしてくれまいか」
「お安い御用さ」
 ホラブンは竹竿を一本もって気軽にでかけようとするから、
「ブンさんや。それは、いかんな。どうも、あんたは、長の江戸ぐらしで、田舎のことには素人らしいな。蜂というものは棒を伝って手もとへ忍んできて、ワッととびかかってチクリとさす。熊蜂にやられると死んでしもう。棒は禁物だから、やめなさい」
「ナニ、大丈夫」
「コレ、ブンさんや。アレ、行っちゃった。こまったな。悪い人にたのんでしまった。オーイ。子供たちはみんなこッちへ来い。本堂の中へあつまれ。顔をだしてはイカンゾ。大変なことになるぞ」
 あの大男が熊蜂の総攻撃をうけて、ふくれ上って死んだぶんには、葬式はお手のものでも、棺桶に一苦労しなければならない。お寺の障子をしめきって、細目にあけて、ナンマンダブ、ナンマンダブ、ふるえながらのぞいていると、ホラブンは何の構えもなくノコノコと門の下へ行って、棒をつきだして、
「チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 浜の漁師がイワシ網をあげているような至ってノンキなカケ声をかけながら、チョイ、チョイ、チョイ、と棒の先をふって、たちまち蜂の巣を落してしまった。
 熊蜂はワッと真ッ黒にむらがって、門の下一面にまいくるっているが、ホラブンの身体にはフシギにたからぬようである。目の前に熊蜂がワンワンむらがるのに彼はちッとも気にとめず、
「チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 チョイ、チョイ、チョイと、棒の先で蜂の巣をころがすこと五十|米《メートル》あまり、肥ダメの中へ突き落して、
「ホレ。チョーセイ。チョーセイ」
 蜂どもを棒の先でなだめて、ニコニコ笑いながら戻ってきた。
「あんた、本当に、どこもやられなかったのか」
「アッハッハ。ほれ。ごらんの通りだよ」
 ホラブンは帯をといて、ハダカになって、全身を裏表あらためて見せた。胸板は厚く、二枚腰、よく焼きあげた磁器のようなツヤがあって、見事なこと。
「フーム。豪傑のカラダには蜂がたからないと見える。フシギなことだ」
「なアに。虫は人間のカラダを怖れてたからないのが自然なのさ。ひとつもフシギなことはない」
 ホラブンは、大そうケンソンなことをいって、すましこんでいる。
「ブンさん、強いなア」
 と、寺小屋の小僧どもは感服して、
「蜂でも山犬でもブンさんを見ると逃げてしもうぞ」
「バカ言うな。虫も山犬も、みんなオレの仲よしだ。オレの顔を見ると、イラッシャイと云って、逃げるようなことはしない。ほれ、見てろ」
 子供のモチ竿をかりて庭へでて、杏の木の蝉にむかって、
「チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 チョイ、チョイ、チョイと、竿の先をふるわせて近づけると、何匹でも蝉がくッついてしまう。
「ワア。すごいな。でもなア。ブンさんでも、雀はとれねえな」
「なんだと。どこのガキだ。とんでもないことをぬかしやがったのは。このガキめ、見てろ」
 モチ竿をつきだして、庭の木の雀にニコニコと竿を近かづかせて、
「チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ。チョーセイ」
 チョイ、チョイ、チョイ、と近かまへ持って行くが、雀はキョトンとしてジッとしている。なんなくモチにかかってしまった。
「どうだ。このガキども」
「ワア。おどろいたな」
 子供たちの人気は大変なものである。坊主は寺小屋には手をやいていた。百姓の子供に文字を教えても仕様がないが、庄屋の長兵衛がうるさい老人で、雪国の百姓は冬出稼ぎにでる。他国へ行って文字の一ツも読めなくては不自由であるし、多少とも素養があると、人間、礼儀をわきまえる。百姓だからといって文字を知らなくていいという道理はない。手紙の用が足りるぐらいは覚えておきなさい。こういうわけで、坊主は寺小屋を押しつけられたが、村のガキどもは野良とお寺の区別なく鼠のようにあたけて寺のいたむこと。おまけに無給のサービス、一文の収入にもならない。農村では七ツ八ツになると、多少の手助けにはなるものだが、役にも立たぬ寺小屋通いに手伝いの手をとられて百姓どもは大ボヤキ、坊主はモライにならないどころか、ウラミをかう始末で、こんな迷惑なことはない。
 ホラブンが子供に人気があるから、坊主は大そうよろこんだ。新居ができて引越しというときに、
「ブンさんや、今生のお願いだが、あんたのところへ寺小屋をひきとってくれないか。末代まで恩にきるよ」
「オレも家ができれば遊んで暮すわけにはいかない。しかし、女房が読み書きに多少の心得があるから、よろしい、寺小屋をやってあげましょう」
 寺小屋をひきうけることになった。
 しかし、遊んで暮すわけには行かない。女房と二人、夜ナベにセンベイを焼き、アメをつくる。ちゃんとその設計にしてあるから、アメを柱にまきつけて、しごいて、ねって、これをきざんで、重箱につめて、二尺に三尺の大きな二つの荷に造って、これを天ビン棒で、かついで、城下町や、天領の新潟港や、近在の賑やかなところへ売りに行く。
 彼は花サカ爺イのような赤い扮装、タイコをたたいて、
「チョーセイ、チョーセイ。ドンドン、ドンドコドンドン」
 辻へ箱を下し、人をあつめて、皿まわし、タマの使い分け、虫の鳴きマネ、などをやってみせる。いつもニコニコと愛想がよくて、オマケにして見せる芸が至芸であるから、大そうな人気。とぶように売れる。元祖チョーセイアメ、ホラセンベイといえば近郷近在になりとどろき、遠い所から珍芸を見物がてら買いにくる人もある。ホラブンが六尺有余の大きなカラダに持てるだけ持って出た品物が、店をひらくと忽ち売りきれてしまう。
 寺小屋はアメとセンベイの製造工場に早変りして、ガキどもはせッせとセンベイをやいている。駄賃にアメとセンベイがもらえて、面白くもない字を習う必要もなく、皿まわしを習うことができるから、大そうな喜びようで、寺小屋の繁昌すること、みんな心をそろえて、
「チョーセイ、チョーセイ、チョーセイ、チョーセイ」
 と、咒文《じゅもん》を唱えながら、一心不乱にセンベイをひっくりかえして焼いている。
 これを知った庄屋の長兵衛、大そう怒って、のりこんできて、
「コレ、ブンや。お前、とんだことをする。猫の手もかりたいような百姓の子供をセンベイ焼きにコキ使われてたまるものか。お前のような札ツキに寺小屋をまかせたのが、こっちの手落ちだが、今日かぎりセンベイ焼きにコキ使うのをやめるか、やめないか、ハッキリ返事をきかせてもらおう」
「アッハッハ。子供というものはタワイもないもので、ハゲミをつける方法を講じておかないといけない。オジジは、失礼だが、田舎ずまいの世間知らず。世道人心にうといな。オレにまかせておけば文武両道、仁義忠孝をわきまえた一人前の人物に仕込んでやる。そろそろ仕込んでやろうか」
「おジジとは無礼千万な奴だ。なにが、文武両道だ。このホラフキめ。仁義忠孝がきいてあきれるわい。そんなら、きっと、仕込んでみせるか」
「どのぐらい仕込んでやろう。四書五経、史記などは、どうだ」
「大きなことを言うな。名前が書けて、ちょッとした用むきの手紙が書ければタクサンだ。今は八月だが年の暮までに仕込んでみせるか、どうだ」
「お安い御用だが、オジジも慾がないな。ほかに注文はないかな」
「生意気なことを云うな。やりそこなッたら、キサマ、村構えにするから、そう思え」
「アッハッハ。心得た」
 翌日から子供たちに、日に五ツずつ字を教えて、センベイに書かせる。
「チョーセイ、チョーセイ、フノ字ノ番ダヨ、チョーセイ、チョーセイ」
 こう唱えてやらせる。できたセンベイを重箱につめて、辻に立って、
「東西々々。チョーセイ元祖の梵字センベイ。わけのわからない字のようで、わけのわかる字もある。わけのわからない字をよオく見ていると、わけがわかるようになるし、わけのわかる字もよオく見ていると、わけがわからなくなる。睨めば睨むほど、ハッキリとして又もやボンヤリとするマジナイの文字。これを朝に五枚夕べに五枚、日に十枚ずつよオく睨んでからポリポリとたべる。御利益は良い子宝にめぐまれる。寝小便がとまる。精がつく。石頭が利巧になる。オタフクの鼻がとんがって少しずつ美人になる。よいことずくめで、悪いことは一つもない。ポリポリポリポリとかじりながら願をかけると、よろずかなわぬものはないぞ。さア、たべり。チョーセイ元祖の梵字センベイ」
 売れるわ、売れるわ。羽が生えて飛ぶように売れる。たちまち産をなした。そこで新居の隣に道場をつくった。センベイ焼きのヒマに文武両道を教えるツモリかなと思うと、大マチガイで、ここで子供たちを勝手に遊ばせておく。なるほど、遊び場所が必要なわけで、村のガキどもが全部集って押すな押すなの盛況であるから、運動場がないと始末がつかない。順番にセンベイをやいた
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