要なのである。言葉で教えたり教わったりして知ることは、ちょッと不可能である。
 急いで歩くと、かえって重い息を浪費してしもうし、魚もにげてしもう。初心のうちは、爪先で歩きがちだが、こういう時は絶対速度を会得するには遠いのである。踵《かかと》が川底へつくようになると、そろそろ魚の心がわかりかけるが、まだ魚をつかむことはできない。
 踵が常にピッタリと川底へ落ちてそれが自然になると、魚をつかむことができる。しかし、絶対速度を会得しないと、魚がすくんで、自ら人間の指の股へはさまりにくるところまでは行くことができないのである。
 いかに極意をきわめても、二百米の川幅を一息に歩いて渡るのは、ほぼ限度である。カメは極意に達しているから、限度もわきまえている。これはむずかしいぞ。一足狂うと失敗すると見てとったから、万全の構えを立て、存分に極意を用いて、静かに対岸に渡りきってしまった。頭がでる。顔がでる。肩がでる。
 殿様はじめ一同ヤンヤの大カッサイ。茫然としているのは、扇谷十兵衛だ。専門家の彼は無邪気にカッサイはできない。それ以上に、驚愕が大きいのである。
 とても人間業ではない。
 対岸へあがった
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