た。
 カメはただは降りなかった。町には食物がないからという彼の偏見は頑強であった。使いの者は一晩山の小屋に泊ったあげく、山の幸のモテナシに降参して、逃げて帰った。
 そこで多茂平という町内の世話役の旦那が自身出馬して説得におもむいた。
「のう。カメ。お前、こんなもの、食うか」
 多茂平は谷底の岩へ腰を下して、おもむろに包みをといて、子供の頭ほどあるお握りをとりだして、あたえた。カメはアリアリおどろいて、叫んだ。
「これは、米のムスビだぞ!」
「そうだ。米のムスビだ。ほしかったら、くえ。いくつでもある」
「よし。いくつでも、あるな」
「食えるだけ、やる」
 カメはムスビにがぶりついた。多茂平は自分用のムスビをとりだして、たべた。カメはそれをのぞきこんで、自分のものと見くらべながら、
「それは変なものがはいっているな? それは、なんだ? ウヌだけ変なものを食っているな」
「どれ? お前のは何がはいっとる?」
「オレのは、梅干だ」
「そうか。オレのはミソ漬だ。ミソ漬のムスビがよければ、それをやるぞ」
 カメはいそいで梅干のムスビをくい終ると、ミソ漬のムスビをくった。そして、心底から嘆声をも
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