クスと云っても、日本の恋愛は一般に純情であり潔癖淡白で、好かれた同志が外部の障碍を突破して目出たしという筋書であるが、アメリカは然らず、厭がる女を長年月にわたり手練手管金にあかし術策を尽して物にするという脂ぎった性質である。
要するにスポーツ、スリル、セックス、品は変れども同趣味で、執拗なる根気と、術策と手管、之が彼等の日常の人生であり趣味であり信条だ。
戦術といえども日常性を以て推測すべからざる深遠な秘法があるわけではなく、むしろアメリカの戦法は三Sの延長であり、その術策手管の挙国総力的な集大成に外ならぬと思われる。
ところが、日本人は探偵小説に於けるアメリカの被害者達とは全く類を異にしている。日本人は概してユーモアに乏しく、又之を好まぬ傾向があるが、実は根柢的に楽天的な国民で、日本人がシンから悲観し打ちのめされるなどということは殆ど有り得ぬ。
私の隣組は爆弾焼夷弾雨霰とも称すべき数回の洗礼を受けたのであるが、幼児をかかえた一人の若い奥さんが口をすべらして、敵機の来ない日は淋しいわ、と云ったという。私は之をきいて腹をかかえて笑ってしまったが、全く日本人は外面大いにつらそうな顔
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