《しようよう》を受け、いろいろ激励を受けた。私が文学の先輩に会つた最初の日である。
私の知る限りでは文科時代が牧野さんの一番飲み歩いた時代で、私達のほかに河上徹太郎・中島健蔵・佐藤正彰・三好達治そのほか嘉村礒多が時々加はり一言も喋らず隅に坐つてゐたりした。酒も亦牧野さんの人生の一設計で、彼は「飲み助でなければならなかつた」けれども、飲み仲間では誰よりも酒に弱く、酒が時々きらひですらあつた。
その頃も牧野さんの神経衰弱が始まつてゐた。牧野さんの神経衰弱は奥さんのヒステリイをともなふのが例で、普段はストア派の牧野さんが神経衰弱になると小説を創るにも苦吟するやうになり、従而《したがつて》彼の人生の設計を深刻化し立体化する必要にせまられる。彼は女に「もてたかつた」し、又「もてなければならなかつた」。そして「仇心をもやさなければならなかつた」。文学の苦吟が深まると、彼は奥さんの前ですら「芝居ができなくなり」むしろ決して大胆に恋愛をしたり情婦をつくつたりすることのできない彼は、内心の慾念を恰《あたか》も現に実行しつつあるかのやうな芝居すらしなければならなくなる。彼は意識上にとどまる慾念すらあざ
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