か駈落ちといふ場合と違ふ。憂鬱至極で堪らないから、つひづるづるべつたり活動でも見て過してゐたといふことと全く同じ感傷的な出来事で、姦淫の要素は微塵もないし、奥さんの性格から、かういふ事件のなんでもなさは極めて明瞭に分るのである。むしろこれが問題になつて彼女は始めて慌てたらう。牧野さんの神経衰弱、奥さんのヒステリイといふ悪い条件の時でなかつたら、奥さんと某と二人きりでたとひ温泉へ行つたにしても決して問題にならないだけの習慣もあり間柄でもあつたのだ。実際の悪徳は何も犯してゐないにせよ、牧野さんの精神にひびく影響を考へたら、まづ理知分別ある男子なるところの某の方で充分注意すべきであつた。
世人がこの問題を重大に見てゐるとすればそれは誤解で、牧野さん自身がこの問題を軽視してゐた。一度はたしかに参つたらうが、二人の潔白は信じきつてゐた。牧野さんはむしろ自分とB婦人とのあらぬ誤解が奥さんをかうまで錯乱させたことを羞ぢて、単身小田原へ帰つたのである。牧野さんは奥さんにも小田原へ帰つてもらひたかつた。
奥さんは某との失踪が世間の問題になつたので、然し自分は潔白だから、自分の潔白を強めるためにも、今度の行動の責任を牧野信一の姦淫に負はすべきだと考へついたのであらう、益々牧野さんを憎んだ「ふり」をして小田原へ帰らなかつた。この際としては如何にも女らしい手口を用ひたわけで、恐らくそれでいいのではないかと私は考へてゐる。これだけの理由で奥さんを悪妻と言ふのは当らない。牧野さんが信じたやうに、そして、牧野さんが信じてゐたが故に、我々はむしろ彼女を良妻と呼んでいいのだらうと思ふのである。牧野さんの奥さんは小田原の牧野さんの母堂と仲がわるかつたが、これとて牧野さんが母堂と不和だつたから、仕方がなかつた。
こんなことは実際どうでもいいことだ。これが死を早めたことにはなつても、自殺の根柢はこれではない。彼の夢が彼の「人生を殺した」のだ。
それにしても小田原へ引上げてからの牧野さんの神経衰弱はひどかつたらしい。いつたい牧野さんは私達と話をしても、死や、況んや自殺に就て、かつて語つた例がない。牧野さんにしてみれば、生きることの難さに比べて死ほど容易な、それゆゑ厭な、妖怪じみた奴はなかつたのだらう。生きることには値打があるが、死には一文の値打もない。語る値打もなかつたのだ。私達が死を云々すると彼
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