者の邸へ戻る力が起らなかった。

          ★

 オレに五六日おくれて青ガサが着いた。また五六日おくれて、フル釜の代りに倅《せがれ》の小釜(チイサガマ)が到着した。それを見ると青ガサは失笑して云った。
「馬耳の師匠だけかと思ったら、フル釜もか。この青ガサに勝てぬと見たのは殊勝なことだが、身代りの二人の小者が気の毒だ」
 ヒメがオレを馬に見立ててから、人々はオレをウマミミとよぶようになっていた。
 オレは青ガサの高慢が憎いと思ったが、だまっていた。オレの肚はきまっていたのだ。ここを死場所と覚悟をきめて一心不乱に仕事に精をうちこむだけだ。
 チイサ釜はオレの七ツ兄だった。彼の父のフル釜も病気と称して倅を代りに差し向けたが、取沙汰では仮病であったと云われていた。使者のアナマロが一番おそく彼を迎えにでかけたので腹を立てたのだそうだ。しかし、チイサ釜が父に劣らぬタクミであるということはすでに評判があったから、オレの場合のように意外な身代りではなかったのである。
 チイサ釜は腕によほどの覚えがあるのか、青ガサの高慢を眉の毛の一筋すらも動かすことなく聞きながした。そして、青ガサにも、また
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