が、そのほかに、もう一品、異様な物をおき忘れて逃げ去りまして、それがこれなる手ヌグイ包みでありますが」平吉はツリ竿とビクを下において、フトコロから例の物をとりだして、人々に差し示した。
「これが奇妙な物なんですな。はじめ魚のエサかと思いましたが、ビクの中にネリ餌の用意があるのを見ると、これはちがった用向きの物らしい。物は何かと申しますると、まことにフシギや、ほれ、ごらんの如くに焼いた餅です。つまり泥棒はツリをしながら餅を食うつもりでしたろう。ところが、フシギと申しまするのは、当村は正月には餅を食べないところです。どこの家にも餅のある筈がございません。これが甚だフシギです。遠方のよその土地からわざわざ夜更けに魚泥棒にくる人があろうとは思われませんが、近所に餅を食ってるのは誰でしょうかな」
酒の多少まわってる人々が多かったから、これからが大変なことになった。なぜなら、ただ一人村の長年の習慣を破って餅を食ってる助六に反感をいだいている人が少くなかったからである。
「なるほど、それはまことにフシギだ。大フシギだな。この村に餅を食べる家といえば、たしか一軒あるときいていたが。たしか二軒はなかった筈だな」
「そうだ。そうだ。去年まではたしかに一軒であったが、本日は正月元日、すなわち去年の翌日だから、たぶん、まだ一軒だろう」
「なに云うてるね。昨夜のことなら去年だろう」
「そうだ。これはまさにその通りだ。してみると、たしかに一軒だな」
これをきいて助六は怒った。
「皆さんの話をきいていると、まるで私が犯人のようじゃないか。はばかりながら、私は新年に餅を食うが、鯉や鮒を食うような習慣は持ち合せがない。最近この村外れに道ブシンがはじまって、よそから人足がはいってるから、餅を食ってるのは私だけとは限らない。どれ、その餅を見せてごらんなさい」
「そうはいかないよ。これは証拠の品だから」
「バカな。その餅を奪って証拠を消すようなことをすれば私が犯人ですと白状するも同然じゃないか。皆さんとても知らない筈はなかろうが、餅はツキ方によって、それぞれ多少はちがうものだ。その餅を見れば、どんな人の食う餅か、多少は分らぬことはない。見せなさい」
そこで一個の餅を受けとり手にとって充分に調べた助六は、思わず顔がくずれるほど安心して、
「これは町の人の食う餅だ。むろん私の餅でもないし、近村の農家の餅でもない。なぜかというと、この餅は餅米のツブだらけで、粗製乱造の賃餅だ。自家用にこんな粗製乱造の餅をつくることはないものだ。私が犯人でないというレッキとした証拠を見せてあげるから、待っていなさい」
助六は自宅へ走って帰って、五ツ六ツ餅をとって戻ってきた。
「ごらんなさい。これが私の家の餅だ。この餅を同じように焼いてお見せするから、泥棒の餅とくらべてごらんなさい。中を割って、ツキぐあいを見れば一目でわかる。さ。手にとって、中を割ってごらんなさい。一方はツブだらけ、私のにはツブがなく、ひッぱればアメのようにのびる」
「一方は焼きたてだからのびる。冷えてしまえば、のびる筈がない」
「ツブを見てごらん」
「なに、冷えたからツブができたのだ」
「そんなバカな。じゃア私のも今に冷えるから、そのときツブがあるかどうか見てごらん」
「冷えたてはツブができない。こッちは一晩たってるからツブができたのだ」
「餅のことを知りもしないで、何を云うか」
「なんだと? 餅のことを知らないと? 知らない者に餅を見せて、なぜ証拠調べできるか。それでは証拠調べではなくて、皆を口先でだまして、証拠をごまかすコンタンであろう」
田舎の人というものは、論争の屁理窟の立て方に長じていて、それにまきこまれてしまうと正常の理窟は役に立たなくなってしまう。またその論争を聞く人々も自分の感情や意地にからんで手前流に判断するから、こうなると、助六に歩《ぶ》がない。一同はワアワアと立ち上って、
「そうだ。そうだ。杉の木は村の者を口でだますコンタンだ。自分だけ餅を知ってるようなことを云うが、そうは、いかねえぞ。オレは米をつくる百姓だ。五十八年も野良にでている百姓だぞ。餅のことぐらい知らないで、どうするか」
「そうだとも。オレは野良にでて六十三年になる。農作物のことなら、隅から隅まで知らないということがないぞ」
「理学の原理によれば、焼いた餅が冷めたくなると、ツブができるとされている。一晩すぎると、ちょうどツブができるな。しかしだな。ただ冷えただけでは、そうはいかないが、氷のはるような寒い晩に吹きさらしにされていると、特別そうなるものだ。カンテンと同じようなものだな。魚のニコゴリも理窟はそれに似ている。これは理学上の問題であるが、オレは昔三年間ばかりその方の研究をしたことがあって、そもそもカンテンは海からとれた植物を山
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