。だが、まてよ。フム。泥棒は、わかったぞ。あの野郎ときまった。ふてえ野郎だ」
「誰ですか」
「杉の木の野郎だよ。この村に、新年に餅を食う変テコな野郎は一人しかいない。あの野郎め、オレの鯉で餅の味をつけようてえ寸法だな」
「村の人を疑っちゃいけないわ。杉の木さんはお金持でしょう」
「ケチンボーではこの上なしの奴だ。みろよ。お弁当の餅といえば、ノリをまくとか何とか味をつけるものだ。この餅は焼いただけで味なんぞつけてやしないや。あのケチンボーめのやりそうなことだ。餅を食う奴にろくな奴はいやしない。とッちめてくれるぞ」
円池の隣家――といっても畑をはさんで一町の余も離れているが、そこに一本の大きな杉の木のある農家があった。ちょうど隣家の円池と同じように、日当りのよい前庭の真ン中に杉の木がある。そこで通称杉の木サンとよばれている。両家ともに村ではお金持である。
円池と杉の木は、その前庭の存在物のために昔から両家で張りあっていた。つまり、オレの杉の木が古い、オレの円池がもっと古いと称して両々ゆずらないのである。たがいに一方を成り上り者と称し、他が一方の前庭の存在をマネて、同じ位置に細工を施したものだ、という先祖からの家伝によるのであった。
杉の木の当主助六は戦争中に杉の木にシメナワをめぐらして神木に仕立ててしまった。そして無事供出をまぬがれるとともに、シメナワをはるわけにいかない隣家の円池を見下して、杉の木の由緒を誇ったのである。それ以来、両家の仲は一そう悪くなってしまった。
杉の木の助六は若いころ旅にでて、オシルコもおいしいし、お雑煮もおいしいものだということを発見し、年に一度の正月に餅を食うのは舌にとっても正月だということを確認したのである。そこで自分の代になると、正月は餅をついて食うことにした。
その餅をつくためのウスとキネを町で買って村へ戻ってきたとき、村境にでて助六を待っていたのは村の有志十名あまりで、その先頭に平吉がいた。彼は皆を代表して助六をさえぎって云った。
「そのウスとキネはこの村の中には一歩も入れられない」
「なぜだ」
「そういうものでスットンスットンやると、餅を食べたことのない御先祖様御一統の地下の霊がおどろいてお騒ぎになる。また村の神様のタタリもあろう。村に不吉なことが起るから、そのウスとキネは一歩も村の中に入れられない」
「そのタタリというのは、いまお前さん方が無法にも人の通行を邪魔してることだ。天下の公道の中にウスとキネの関所があるのは聞いたことがない。もしも、たってさえぎると、お前さん方は法律によって牢にはいることになる。それがタタリというものだ。そのほかにタタリがあったら、お目にかかろう」
助六はこう見栄をきった。そしで荷車をひく人足にきびしく前進の命令を下した。十名あまりの有志の中にたってさえぎる勇者が一人もいなかったので、平吉も涙をのんでウスとキネの侵入を見送らなければならなかった。助六の餅については、その発端からこういう曰くインネンがあったのである。それからもう二十何年も時が流れている。あいにく餅のタタリが現れて助六の杉の木が雷にうたれてさけることもなく、助六のノドに餅がつかえたことすらもないから、平吉の無念の涙はいまだに乾くヒマがなかったのである。そこで平吉は泥棒のおき残した手ヌグイ包みの餅を仏前のタタミの上において、仏壇を伏し拝んで落涙し、ついに御先祖様御一統の加護があらわれたことを感謝したのである。
証拠より論
元日の午《ひる》、村の重立った者が役場に集って、心ばかり新年を祝うことになっていた。平吉は今年の元日に限って朝から一杯キゲン、大そうよい心持だ。午になると、ツリ竿とビクと手ヌグイ包みをぶらさげて、満面に笑をたたえて役場へ急いだ。
「元日から魚ツリですか」
「ハッハッハ」平吉は笑うのみで黙して語らず、期待に胸をワクワクさせて、新年遥拝式の終るのを待った。餅を食ってきたに相違ない助六も、天を怖れる風もなく、列に並んで新年遥拝を終った。
さて祝宴がはじまったとき、平吉はいよいよすッくと立上って、ツリ竿とビクを差上げて、
「さて、皆さん。ただいまワタクシは新年にちなみ、ツリ竿とビクをたずさえてエビス様のマネをしているわけではありません。実はあまり香《かんば》しい話ではありませんが、若干おもしろいところもありますので、新年そうそう皆さんのお耳を汚させていただきます。ワタクシが昨夜夜半にふと目をさましたところ、誰やら庭の池の氷をわっている物音が耳につきました。そこで足音を殺し、シンバリ棒を外し、ガラリと戸をあけて大喝一声いたしましたところ、賊はとる物もとりあえず逃げ去りました。あとに残されたのが、この品々です。魚泥棒がツリ竿とビクをおき残して逃げたのにフシギはありません
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