やよ。
だから(聖なる決心よ!)俺はうなだれて武蔵野の夕焼を――ういうい、酒倉へ、酒倉へ行つたんだ! 断乎として禁酒を声明したあの一夜から、数へてみて丁度三日目の夕暮れだつた。俺の目は落ち窪み、額はげつそりと痩せ衰へて、喉はブルブルと震へてゐたが。ややともすれば俺は木枯に吹き倒されて、その場でそのまま髑髏にもなりさうに思ひながら、やうやくに酒倉へ辿りついてその白壁をポクポクと叩いたんだ。
俺の悄然たるその時の姿は、「帰れる子」の抱腹すべき戯画であり、換言すれば下手糞な、鼻もちならぬ交響楽を彷彿させるそれら「さ迷へる魂」の一つであつたと、行者は後日批評してゐる。とにかく俺はやうやくにして二十石の酒樽に取り縋ると物も言ひ得ず灰色の液体を幾度も幾度も口へ運んだ。ああ幾度も幾度も……そんな風にして俺の神経の細い線が、一本づつ浮き出てくるのを感ずる程呑みほしたのだが――酒は本来俺にとつて何等味覚上の快感をもたらさないのだ。むしろ概して苦痛を与へる場合が多いのだし、それに酒はむしろ俺を冷静に返し、とぎ澄まされた自分の神経を一本づつハッキリと意識させるのだけれど――それでゐて漠然と俺の外皮をなで
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