るのぢやよ)――だから余は断じて幸福であるのだ!
と、酒樽にもたれて酔眼を見開き、勢あまつて尚も口だけをパクパクと動かしてゐたのだが、行者はニタニタと笑ひつつ面白さうに俺のパクパクを眺めながら焦燥《アセ》らず周章てず尚も幾杯かを傾けてしばらく沈黙の後(ああ! 悲劇の前奏曲よ!)静かに鼻の頭をこすつて
――尊公は見下げ果てたる愚人ぢやよ。(とおもむろに暗涙を流した)。かつて人間が神を創造して以来ここに人間の生活に於ては詩と現実との差別を生じ、現実は常に地を這ふ人間の姿を飛躍する能はず、詩はまた常に天を走れども地上の現実とは何等の聯絡を持つことを得なかつたから、人間は徒に天と地の宙を漂ひ、せつぱつまつて不幸なる尊公らは虚無と幸福とを混同するの錯覚におちいり、ヂオゲネスは樽へ走り、アキレスは亀を追ひかけ、小春治兵衛は天の網島、荘周は蝶となり、尊公のゼンマイははづれさうになるんぢやよ。ひとり淫乱の国|天竺《てんじく》には現実を化して詩たらしめんとする聖なる輩《トモガラ》が現れて、ここにカーマスットラを生みアナアガランガをつくり常にリンガ・ヨオニに崇敬を払つて怠ることがないから法悦極るところ
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