確実に知っていると判っているのは平作だけですね。こんな風に確実なものと、可能性のものとをハッキリしておくことは、手順としては大そう大切なことなんですよ。お直のクダリはこれぐらいにして、次は目黒の百姓に化けてタケノコを売りこみに才川家へ赴いた件。これは傑作だな。百姓に化けることはどのタンテイもできますが、こんな風に会話を交すことはできません。あなたには大タンテイの天分があるのです」
新十郎は日記帳のその会話のクダリを開くと、一寸《ちょっと》一目見ただけで、おかしくて堪らぬ事を思いだすらしく込上げる笑いをせきとめかね、遂にはハンケチを取出して、涙をふく始末だ。平素の彼らしくないフルマイであった。
「目黒にはタケノコを食いたがる天狗がいるんですッて! 実にどうも、あなたという人は……」
こみあげる笑いの苦しさに、新十郎は両手で胸をシッカと抑えた。
「さて、寺島のトンビの天狗の方ですが、女中の言葉はカンタンながら印象的で、むしろ面白すぎるほどではありませんか。この天狗の習慣は珍ですよ。女中がハナレへタケノコメシを運んで行くと、天狗の先生、毎年決ってトンビをきて黙って坐ってるそうですが、火がないハナレなんでしょうかね。蓋《けだ》しタケノコに対するや、目黒の天狗に負けないぐらい深刻な何かがあるんでしょうか。ですがこの天狗が才川家に於てうける待遇は上等なものではないですね。来る姿も帰る姿も女中にまで問題にされず、女中がタケノコメシをハナレに突ッこんで逃げ去る他には法事のすむ迄彼はただハナレにほッぽりだされているのだそうだから、天狗の身にとっては物騒な話ですよ。ですが、この天狗の話は、女中以外の人々の口からはまだ語られていませんね。然し、それを他の人々に確かめて答を求めるのは不可能でしょう。ところで女中の話では、石松は折ヅメには手をつけずに女の子のところへ持ってッてやるそうですね。寒のうちというのに珍しいタケノコ料理の折ヅメだから貰う方も幾らか印象的でしょう。後日に至って印象を引出す為にはタケノコ料理の折ヅメという存在がなかなか得難い好都合な差し水の役を果してくれる意味があるのですが、それにしても今では時間がたちすぎましたね。あなたがこの報告書を作った時分でしたら、その印象はまだ鮮度を落さず生きていたでしょうに。タケノコ料理の印象なら、まア一ヶ月位の中は死にかけたのを生き返すことができそうだなア」
楠は顔をやや紅潮させて訊いた。
「すると、その婦人をさがしだして、その日の印象をさぐって、つまり……」
「つまり?」
「それは彼のアリバイの為に?」
「いえ。今はそこまで考えなくともよいのです。石松の場合に於ては、タケノコ料理の折ヅメを自分で食べずに女の子に持ってッてやるという事実が分ったことによって、その女の子を探すこと、また、その女の子にその日のテンマツを折ヅメの印象をたどって訊くことができるという割に有利な事柄が発見されたこと。それに気がつけばよいのです。そして、折角《せっかく》の発見ですから、とにかく確かめてみる実行を知るに至ればよろしいでしょう。タンテイの心得はそれだけのことです。推理を急ぎ、結論を急ぐ必要はないですね。発見を捉える度に、幾らかでも価値のある部分だけは事実を確かめて、そんなコマゴマした事実がタクサン手もとに集って自然に何かの形をなすまで、ほッとくだけでよろしいのですよ」
「分りました。ボクは今からその婦人をさがして訊きだせることを訊きだしたくなりました。もう一度やり直してみたいのです」
今にも直ちに女を探しにでかけたくてジッとしていられぬ様なもどかしい様子。新十郎はその意気込みに一応軽く頷いてみせたが、
「ですが、そのほかにも発見を捉えて確かめて帳面の隅ッこへ記入しておくべきことは、ないわけではありません」
楠はうなずいて、
「それは自分でバラバラ日記を辿りつつ新しい目で考えて、自分自身の発見を捉える工夫や努力をしてみたいと思います。力の足らない事は分っていますが、自分の進む方向だけは先生のお教えでハッキリ会得致しました」
「そのお言葉をうけたまわって、うれしくてたまりませんね。署長には私が了解を得てあげますから、明朝からあなたの独特の目で発見を捉えては一ツずつ確かめて取捨しつつ進みなさい。私がこのバラバラ事件を解決するにはほぼ一週間かかりましたが、あなたも私と同じように一応一週間の区切りをつけておきましょう。ハンディはつけない習慣がよろしいですよ。そして一週間目に、あなたと語り合う日が、実にたまらないタノシミですね。では、御成功を祈りますよ」
そして、更に一言、咒文《じゅもん》の様につけたした。
「ムリハツツシメ」
★
一週間目の夕方、楠は新十郎を訪問し、二人は食卓をかこんでミュンヘ
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