からって、寺島の才川家の勝手口をくぐった。
「ウチの買いつけの八百屋と行商の百姓はきまった人がいるからダメですよ」
と年増の女中が顔をだして云ったが、
「オレは並の行商の百姓とは違う者だね。目黒の奥のタケノコ百姓だ。実は毎年の寒のうちに向島の魚銀という料理屋がオレのところへタケノコを買いにきてくれるが、今日は手ブラで東京へでる用があったから、背中が軽いのはモッタイないと思って、ついでに魚銀にタケノコでも買ってもらうべいと気がついたね。朝の暗いうちに目黒をでて、道を急いで用をすまして魚銀を訪ねてみると、寒のタケノコを買ってくれるのは才川というウチだから、そこへ行って買ってもらえ。そこがいらないと云えば、ほかに買う当はないから諦めろとの話だ。すまねえが買ってくれ」
「アレ。変ったのが来た。チョイト! お金ちゃん。出てきてごらんよ。変テコな百姓が目黒の奥からでできたから」
こう云って若い女中をよんで、二人になると女たちは気が強くなり、珍しがって、からかいはじめた。計略図に当ったと楠は心中の喜びを隠しつつ、
「ここのほかには東京中に寒のタケノコを買ってくれる当がないてえから、持って帰るのも業バラだなア。次第によってはタダの隣ぐらいの値にまけてもかまうこたアねえが、すまねえが弁当を使うから、お茶くれねえか。四時起きして目黒をでてきたから腹がへって目がまわる。お茶代にこれやろう」
とタケノコ一握りつかんで女中の前カケの中へ落してやる。二人の女中は感激して、
「お前さん気前がいいねえ。百姓させておくのはモッタイない人だよ。寒のタケノコてえ高価なものをサイバイしている百姓は違うよ。それにしちゃアお前さんの着物はやに汚いねえ」
「これはフダン着だ。どうせお前たちも百姓の娘だろうが、惚れるなら目黒のタケノコ百姓に限らアな。タケノコはモミガラをまいてコヌカで育てる。人間の糞みたいな臭いものをコチトラは使うことがねえや」
大きなお握りをほおばり、女中がつくってくれた土ビンのお茶をすすりつつ、巧みに本題へ運んでいった。
「このウチじゃア寒のタケノコをどうやって食ってるね」
「私達がタケノコ料理を作るんじゃないし、まだお下りを食べた事もないから、よく知らないけど、タケノコメシと煮ツケらしいね」
「まアそんなもんだなア。じゃアお前たちは食ったことがねえのか。毎年オレのタケノコを買ってながら」
「タケノコメシはいただくけどねえ。お料理の折ヅメは、お客さん方は持って帰るし、ウチの方々、旦那と末のお嬢さん夫婦はいつもキレイに食っちまうし、お酒のみで物をあんまり召上らぬ若旦那は惚れた女の子のところへ折ヅメを持ってッてやるから、おさがりはないねえ。ホトケ様へあげる分が一ツある筈なんだけど、これもどこへ行っちまうのか、毎年その姿がなくなッちゃうねえ」
「トンビの人が食っちまうんだ」
「それは内緒よ」
「いいわよ。目黒のタケノコのアンチャンなんかに何きかせても分りやしないさ」
と若い女中。楠はシメタと胸をときめかしたが何食わぬ顔。
「トンビはアブラゲじゃアねえか」
「ここのトンビはタケノコだ。アッハッハ。トンビたって、冬に男が上に着るトンビのことだよ。毎年、タケノコの日に限って、トンビをきた変なのがたッた一人裏口からきて、法事のお客さんには姿を見せずに奥のハナレに身を隠すようにしているんだけどねえ。いつ来ていつ帰ったのやら私たちにも分りやしない。変テコなお客だよ」
「ヘエ、面白いな。天狗じゃねえのか。目黒にはタケノコ好きの天狗がいたそうだ。ここの天狗は誰にも会わずにタケノコ食って帰るのか」
「旦那にはお会いだろうよ。若旦那、お嬢さん夫婦、ここのウチの人たちは別にこの人をフシギがりやしないよ。その日に限ってトンビの客がくるてえことは承知してるんだよ。ただ法事の席のお客さん方には言ってはいけないと奥からの命令さ」
「奥さんの命令か。旦那じゃねえのか」
「奥てえのはつまり主人からてえお屋敷言葉だよ。百姓には分らねえや」
「それはつまり天狗なのか、人間なのか」
「文明開化の世に天狗がでるのは目黒の竹ヤブだけだ。それが三十がらみの男の人だけど、昼間きて昼間のうちに帰っちまうタダの人間にはマチガイないや」
「天狗でなくちゃア面白くないな。タケノコだけが目当なら人間でなくて天狗だがなア」
「タケノコメシをハナレへ持ってッてその人の前へおきッ放してくるんだけど、陰気な人だよ。部屋の中でも寒そうにトンビをきたまま、顔もあげず黙りこくッて坐ってらア。私やタケノコメシを置きすてて逃げるように戻るのさ、その時、話しかけられたら、さぞ怖いだろうよ」
「客人をほッぽりだして、一人ぽっち坐らせておいて、タケノコメシを食わせるだけか。ヘエ! 変なウチだ」
「法事がすむまでは仕方がないよ。お経
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