。しかし、その結論一ツだけでは不足ですね。キキコミはまだまだ多くの暗示に富んでいますよ。その五ツ六ツをザッと列挙しても、次の通りです。天心堂が石松の勘当と加十復帰の噂を耳にしたのは人見角造からであった。この人見は小栗が京子と結婚して平作の新しい秘書になるまでは、彼がその位置におり、才川家の家族の一員として邸内に同居していた。彼が小栗に位置をゆずって、代言人の事務所をひらいて別居したのは三年前です。次には狡智にたけた元番頭の天心堂も加十の居所変名を知らないこと。特に注意すべきは居所ならびに変名ですよ。加十という存在は今や地上になくて、その変名が親類たちにすら知られていないのです。そしてそれはお直の言葉からさらに発展します。そのヨメすらも加十の身分と本名を知らないというのです。ところで、お直がそのあとで語った言葉なんですが、この時のあなたの問いかけには特に深い意味が含まれていなかったようですが、それに対してお直はなんとなく薄気味わるくて妙に真に迫るような返事をしているじゃありませんか。それ。この返事がそれですが、読んでみましょう。加十さんの特徴といえば、そう、そんなのが一つ確かにあるんですが、そしてそれは勘当後に新たにできた特徴で私だけしか知らないものですが、それを申上げるわけにゆきません、ね。お直はこう云ってるのです。私だけしか知らない特徴だと断言してるんです。ただし、それはお直さんがそう思いこんでいることが私たちに分っているというだけで、他人がそれを証明しているワケではありませんがね。とにかくお直さんの言葉は重大なものを暗示していますよ。なんしろ杉代さんの死ぬまでは、加十と杉代の音信の中継所で、おまけに加十の居所を実地に訪ねて会見している唯一の人物ですからね。ところが杉代が死ぬとお直は平作によびよせられて加十との交渉を断つことを命ぜられ、一方、加十からの音信もバッタリ絶えたし、また心配のあまり居所を訪れると、加十は他へ越して行方不明だったそうですね。むろん平作のハカライでしょうが、そこからの結論として一ツ弁《わきま》えておくべきことは、加十の新居と変名は杉代の死後では平作が知っていて、お直は知らないということ。しかし、平作が知ってることは確かだが、その他の誰かが知っていないとは限らない。お直は知らなくなったが、それは他の誰かが知らないという証明にはならない。しかし、
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