風があって、商家の内儀に男爵令嬢は当世風、商人もゆくゆくはコンパニーなんぞをやって外国風を用いなくちゃアいけねえなんぞとワケも分らずに福沢諭吉先生なんぞを尊敬したアゲクが倅《せがれ》に貧乏男爵の娘をヨメにもらってやった。
 小沼男爵というのはさる大名の末の分家、石高一万か二万の小ッポケナ小大名で、先祖代々の貧乏大名。維新で領地を失うとその日から路頭に迷うようなシガない殿様であったが、忠臣や名家老の現れるようなハリアイのある大名じゃないから、主家と一しょに老臣も足軽も路頭に迷って、とる物はとり、ごまかす物はごまかしてしまうと、主人をおッぽりだしてみんなどこかへ行ってしまった。
 小沼男爵の旧領の出身で東京へでて産をなしている筆頭がチヂミ屋だから、これに泣きついて借金を重ねたあげく、行末長く借金に事欠かぬ胸算用をたてて、娘をヨメにやった。
 先代に輪をかけてオッチョコチョイの倅久五郎、英学塾へ学んで、諸事新式を心がけていたから、美人の男爵令嬢オーライであると諾然一笑して女房にもらったが、諸式に思想がちがって、夫婦生活は全然シックリしなかった。文明開化はこういうものであると心得ているせいか、甚だ不満なところもあるが、男爵令嬢たる女房の尻にしかれてマンザラでないような気持もあった。
 父が死んで、自分の代になった。親ゆずりの稼業をつぐ者にとっては、これは最大の一転機である。親が死んだら、ということは物心ついての彼らの最大の仮定なのだから、このときから人間がガラリと変ってもフシギではない。オッチョコチョイの半生にもその時の含みをのこして色々の複雑な下地ができている。半生がその転機にそなえる下地のようなものでもあった。
 小沼男爵が坂巻多門という生糸商人をつれてきて、
「この男はウチの家令の坂巻典六の兄に当るもので、身許は確かな人物だから、信用して話をきいてやってくれたまえ」
 とひき合わした。
 家令の坂巻典六は久五郎の父が要心していた曲者だった。貧乏華族を承知で仕えているのは大バカか、下心のある曲者か、どちらかにきまっていよう。そして見たところバカではないらしいから曲者だというのが、先代の商人らしい判断であったから、これという曲者の確証があるわけではない。
 その兄だときいて、久五郎もひそかに要心は忘れなかった。多門の話はこうだった。
「昨年末以来、生糸が暴落に暴落を重ね、私は年末の今に比べれば相当の高値の時に多量に仕入れたために困っております。ところがペルメルという横浜の外国商人が百|斤《きん》四百五十ドルの高値で三十五万斤という大量の契約を結びたいと申しているのですが、いかんせん、支払いが品物の引渡し完了の上、となっているので、私には手がでない。私の手もとには年末に仕入れたものが二十万斤あるのですが、あとの十五万斤を仕入れる金もないから、有利な契約と分りながらも手がだせないのです。私が年末に仕入れたときですら、百斤二百七十円、今では百八十円という大安値ですから、四百五十ドルなら大そうなモウケですが、貧乏人というものはみすみすモウケを知りながら見逃さざるを得ないというメグリアワセになりがちなものです」
 そこで、あとの十五万斤を仕入れるモトデを貸してくれというタノミなら久五郎は一も二もなく拒絶の肚をきめて話をきいていた。
 ところが多門の話はそうではなくて、自分はペルメルとの契約はあきらめるから、代りに久五郎が契約してはどうか。その代りに、自分の手もとにある二十万斤を今の値の百八十円ではなくて自分の買った当時の二百七十円で買ってもらえまいか。買い値で売れば自分のモウケはないようだが、その金で今の安値のものを仕入れて騰貴を待てば一応モウケはとれるから、というのである。
「横浜へ御案内しますから、ペルメルに会ってごらんなさいまし。支払いは品物引渡し後と云っても、困るのは貧乏人の私だけで、お金持のあなたなら、残りの十五万斤を百斤百八十円の安値でいくらでも買えるのですから、大モウケは目の前にぶら下っているのです」
 本当なら耳よりな話だが、商家に育った久五郎、もとより口先一ツで信用はしない。とにかく横浜へ同行しましょうということになった。
 ペルメルに会ってみると、話はたしかに確実で、多門の云った通りであった。
 証文は三十五万斤で、百斤につき四百五十ドル。百斤ごとに一箱につめて、三千五百箱、その引渡しが全部完了の上で現金支払いをする。
「但し、ですね。日本人生糸商人、ずるい。箱の中に元結《モトユイ》つめる。もっと悪い人、石炭、鉄つめる。そして、百斤のうち十五斤、二十斤ごまかす。もしもそれしたら、一文も払いません」
 ペルメルは要心深げに目を光らせてジッと久五郎の顔を観察して云った。即答をさけていったん久五郎は東京に戻った。そして調べてみる
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