光がさした瞬間、
「ウウエーイッ」
 ゴ、ゴ、ゴオーッと嵐が起って土俵上空を斬り狂う。腰の一と振りで七俵の四斗俵が縄をはずれて四方にとんだ。今やダラリとゆるんだ縄だけを胸にかけたオソメさんが、何事もなかったように土俵中央に青眼の構え。つまり、背をまるめ、首を俯向け気味に、七俵を背負っていた時と同じ姿勢で青眼にハッタと構えているだけである。
 かくて数秒。不動のうちに見栄がきまる。千両役者の芝居のようにいいところだ。オソメさんの両の手にはまだ一俵ずつ残っているのだが、今やこんなのメンドウくさいやと手のゴミを払うようにほうりだして、一礼して引きさがるという次第であった。
 この花嵐オソメさんを一枚看板の抜弁天一座が、芝虎の門の琴平様の縁日をあてこんで五日前からかかっていた。
 今ではすたれてしまったが、芝の琴平神社と人形町水天宮の縁日は東京随一の賑いであった。浅草の観音様や大鷲《おおとり》神社の賑いもこれには及ばなかったものである。琴平神社の縁日は毎月の十日であった。
 縁日を間にはさんで前に五日後に七日と二週間ちかく興行したが、縁日の当日はとにかく、成績は上乗ではなかった。ストリップ的にうけている見せ物だから、花嵐の怪力の実績だけではうけなかったのである。
 ところが一夜この小屋へ花嵐を誘いにきた若い女があった。夜目にハッキリは見えなかったが、上品なキリョウのよい女であったそうだ。
「ちょッとした座興のために花嵐をかりたいが」
 と一夜十円という相当な高給で花嵐をつれだした。日中でもあんまり客足のない小屋だから、夜の興行は休んで死んだようにヒッソリしている。一座の親方も花嵐も大よろこびで応じてくれた。
 土地不案内の上に暗闇で分らないが、歩いで二三十分ぐらい、静かな邸内へ案内された。空家のようにヒッソリと、無人の家だ。おスシのモテナシをうけ、刻限まで寝ていてかまわないと云われるままに、そこは全然無神経な女関取、グウグウねむる。何時ごろか分らないが、さッきの女に起された。
 みちびかれるままに邸をでて、手をひかれて歩いた。あッちへ曲り、こッちへ曲りして立ち止ったところで女はチョウチンをかざして、ささやいた。
「この石を起してちょうだい。シッ! 声をだしちゃダメよ。唸り声をたててもダメ。これを上へ起すのよ」
 大きな石だ。大の男が五人がかりでも動かせそうもない大石。花嵐はこの一ツしか特技がないのだから、力技と分ればあとはナニクソと大石に挑みかかって無我夢中。大地にくいこんだ大石をついに起してしまった。
「そのまま、ちょッと待って」
 女はチョウチンの火を消した。そしてシャガミこんで何をしたか分らないが、やがてまたチョウチンをつけて、
「石を元通りにしてちょうだい。手荒らな音をたてず、静かにね」
 満身の怪力を要する難事業だが、花嵐はこれもやりとげた。
 再び女に手をとられて、あッちへ、こッちへとグルグル歩きまわったあげく、
「この石を背負うのよ。今度は、背負って、ちょッと歩いてちょうだいね」
 これも相当な大石だが、さッきの石にくらべれば楽なもの。言われるままにそれを背負う。
 二三十間歩いて、命じられた場所へ静かに石をおろした。また手をとってみちびかれてしばらく歩くうちに、大通りへでた。
「まッすぐ行くと虎の門よ」
 と女が道を教えてくれて、別れた。
 翌日、芝山内の山門の前、道のマンナカに大石が一ツころがっていた。酔ッ払った奴のイタズラではなさそうだ。二三十間はなれた道端の庚申塚の石だが、それをここまで運ぶには大の男の四五人がかりで全力をあげてやっても危いような仕事だ。
「まさか天狗のイタズラでもあるまいが」
 と、納所《なっしょ》坊主が寄り集って大ボヤキ。この大石をどかさないと、人が通れない。それを見て、どうかしましたか、と人が集る物見高さ。
「へえ、この石を、ねえ。オイ。天狗のイタズラだってよ」
 というわけで、たまたまこれが女相撲の小屋まで伝わったから、それじゃア花嵐が妙な女にたのまれて動かしたのはその石かも知れないと気がついた。このことが口から口へと伝わって、
「花嵐が狐に化かされて何百貫の大石を芝山内へ持ちこんだそうだぜ」
 と評判がたった。やがて珍聞の記事にもでた。そのときはもう女相撲の一行はこの土地をひきあげていた。そしてこの出来事は忘れられてしまったのである。

          ★

 日本橋にチヂミ屋という呉服問屋があった。先代が死んで、ようやく四十九日がすぎたばかりというとき、小沼男爵が坂巻多門という生糸商人をつれてやってきた。
 小沼男爵はチヂミ屋の当主久五郎(二十八)の女房政子(二十一)の父親だ。商人が男爵の娘をヨメにもらッたというのは当時としてもハシリであったが、先代にはそういうオッチョコチョイの気
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